『あのころのパラオをさがして:日本統治下の南洋を生きた人々』、寺尾紗穂著、集英社、2017年。

誠実な筆致の本でした。

かつて日本が統治していたパラオは、当時も現在も、非常に親日的な国といわれています。

たいへん嬉しいことではありますが、被統治の経験をした国家が、統治した国家に対して、まったく嫌悪・不快を感じていないとは考えられません。

なにかしら尾を引いているはずです。

わたしは長いあいだ真実を知りたく、しかし自身の読書を通しては、その希望がかなえられていませんでした。

本書がそれにきちんと応えてくれました。

パラオやサイパンのように、教育と近代化が同時に日本によって行われた南洋群島の場合(台湾もそのような傾向があると言われるが)、人々の統治はたやすく、対日意識も好意的なものが多い。だから、「現地の人の生の声」を集めようと思えば、「日本時代はよかった」という話がいくつも集められる(荒井利子『日本を愛した植民地 南洋パラオの真実』<新潮新書>に列挙された証言など)。こんなに日本と日本の統治は愛されていました、という事実に私もいちいち異議を唱えるものではない。
しかし、そうやって全体論を引き出すことは、あまりにも問題が多いことを、取材の過程でひしひしと感じた。
一人の人間が、何かを愛するがゆえに、何かを言わないかもしれないということ。(pp.212)

著者(1981年生まれ、女性)は上記の問題意識に沿って、日本の民間人および軍人がパラオでおこなった良いことも悪いことも取材され、あまねくお書きになっています。

たとえば、

パラオの遊郭につとめた彼女たちが美しい海を見ながら何を思っていたか、(中略)慰安婦は内地からの者もいたが、朝鮮人がほとんどで「高級将校のメイド」「海軍病院の雑役」にならないかなどと言われて海を渡っており、日本名の源氏名を持たされていたという。(pp.151)

こうした重たい事実に触れられました。

また、日本軍による「パラオ人絶滅計画」の件も詳述されています。

私が驚いたのは、次の証言だった。「憲兵隊にいるとき、島民について話し合われた。高級将校たちは日本軍の食糧を確保するために島民を始末したがっていたが、アメリカに協力するのではと恐れてもいた。すべての島民を一ヶ所に集め皆殺しにする計画が持ち出された(後略)」(pp.102)

幸い同計画は未遂に終わりました。

さらには、

パラオ人に施された教育はパラオ統治の30年間、日本人に従順な島民を量産した。
賃金の差は歴然としてあった。そして現地人と日本人だけでなく、朝鮮人や沖縄人もその賃金構造の中で内地人よりも安価な労働力となった。(pp.165)

とのことでした。

以上のどれも、われわれ日本人が決して忘れてはならない重大事ばかりです。

本書に比べると、井上和彦著『日本が戦ってくれて感謝しています:アジアが賞賛する日本とあの戦争』、産経新聞出版(2013年)の「パラオ」編などは、温かいエピソードや誇らしいエピソードに終始しており、浅薄な内容だったと批判せざるを得ません。

わたしは寺尾氏の、

「未来」を呼びかけるケルヴィンのようなパラオ人に「全く、戦争は過ぎたことです、重要なのは未来です」と日本人が同調して答えるとしたら、やはりそれは恥ずかしいことのように思う。パラオ人が彼らにとっては重みのある「事実」を隠してなお、「未来」を語ろうとしてくれる、その気持ちを改めてみつめなおすことくらい、してしかるべきではないか。
少なくとも、美しい島の上で日本がアメリカと起こした戦争がもたらしたことを知らぬまま、日本人とパラオ人は仲良くすばらしい町を一緒に作っていました、と胸を張るようなことは、戦後半世紀近くたって生まれた私にはできない。(pp.170)

このようなご意見に心から敬意を表します。

最後に、では寺尾書を読んだからわたしがパラオへ行きたくなったかというと、そういう気持ちは起こらず、むしろ(たったいま非難した)井上書の読了後に、パラオまで行ってみたい気持ちが生じました。

皮肉です。

わたし自身、残念ながら、日本がやったことに目をつむってしまいたい卑劣な願望をもっているわけです。

金原俊輔