『江戸の科学者:西洋に挑んだ異才列伝』、新戸雅章著、平凡社新書、2018年。

みごとな出来ばえの本でした。

江戸時代にコツコツと科学・技術を学んだ人たちの人生および各種エピソードを紹介した内容です。

まず、数学者として名高い関孝和(1637あるいは1642~1708)に関する記述を引用してみましょう。

彼は算木(さんぎ)などの計算具を用いていた代数学の方法に限界をおぼえ、

一般の整式もあらわせる独自の方法を考案した。それは算木の配列をそのまま紙に筆写し、式の係数に文字を付記することだった。
この表記法は「傍書法」とよばれ、等号やプラス記号こそなかったが、現代数学の記号法に通じるものだった。(pp.79)

わたしはこの文章の意味をまったく理解できないものの、すばらしい創意工夫であるみたいです。

関はほかにも偉大な業績をのこしました。

つぎに、天文学が専門だった高橋至時(1764~1804)の章では、

実力は充分だったとは言え、なにぶん彼は天文方では新参者だった。それゆえ排除された意見や提案も少なくなかった。楕円運動論についても太陽と月には採用されたが、他の惑星については斥けられた。(pp.27)

侍が「切捨御免」をおこなっていたころ、「花は桜木、人は武士」などと歌われ悦に入っていたころに、学者らは「惑星が円運動をしているのか、楕円運動をしているのか」につき口角泡を飛ばし論争していたわけです。

感嘆せざるを得ませんでした。

このような顔ぶれが全部で11名登場。

平賀源内(1728~1779)だの緒方洪庵(1810~1863)だのといった有名人から、一般的にはそれほど知られていない国友一貫斎(1778~1840)のような存在にいたるまで、重要人物があまねく網羅されていました。

明治以降の文明開化・殖産興業の礎(いしずえ)ともいえる群像ではないでしょうか。

非常に読みごたえがある作品です。

発奮もしました。

わたしとて学問に携わる者の端くれ、うかうかしてはいられません……。

ところで、おそらく『江戸の科学者』を読み終えた日本人の多数が抱くであろう感慨を、著者(1948年生まれ)ご自身がお書きになっています。

川本幸民(1810~1871)の章でした。

川本は、化学研究のかたわら、蒸気船の構造を解明し発表した碩学です。

黒船来航の3年後には、自力で蒸気船を製造した日本の底力は西洋列強を驚嘆させた。この国はこれまで植民地化してきたアジア諸国とは明らかに違う。そう痛感した列強が、日本の植民地化を断念する大きな要因となったと言われている。(pp.238)

ほんとうに要因となったのかどうかは、わたしには判定できませんが、「そうであってほしい」と願います。

日本が長いあいだ鎖国状態にあっても、ヨーロッパや中国の文献をとおして近代科学の発展から取りのこされない努力をした人々がおり、その結果、わが国の学問は部分部分では世界の最先端にすら位置していた、という感動の事実が書かれている一冊でした。

金原俊輔