『ドナルド・キーン自伝 増補新版』、ドナルド・キーン著、中公文庫、2019年。

ドナルド・キーン氏(1922~2019)。

アメリカ生まれの日本文学研究者・著述家で、2011年に日本国籍を取得、2019年に他界された人物です。

日本国籍の取得については、もともとご希望を有していらっしゃったところ、2011年「東日本大震災」の発生が同氏の背中を強く押しました。

ここに至って、半熟の状態だった日本国籍取得への決断が、私にとっては必須の懸案となったのだ。外国人が日本から逃げていくニュースに落胆していた私は、今こそ、もっとも率直なかたちで日本のみなさんと一緒になる、その思いを表明しなければと思ったのである。(pp.366)

感動的な文章です。

さて、上掲書では著者の子ども時代から話が始まり、コロンビア大学進学、日本語の勉強、軍隊経験、英国ケンブリッジ大学留学、来日、わが国の作家諸氏との交流、日本文学の英訳活動、という流れで筆が運ばれました。

多数の有名な作家・文人たちが登場してきましたが、なかでも川端康成(1899~1972)そして三島由紀夫(1925~1970)とのおつきあいが詳細に描かれています。

そうとう親しくなさっていた模様です。

上記ふたりのノーベル賞がらみのエピソードも、突っ込んだ情報を交えつつ、記述されていました。

わたしはこれまでかなりの数におよぶキーン氏の著作を読んできています。

ひとつひとつの作品にちらほらご自身の回顧談が含まれていたため、わたしは彼がどのような人生を歩んでこられたのかを、すこしは承知していました。

けれども、今回の本は「あとがき」まで含めれば90数年にわたる人生が概観できる内容となっており、とうぜんながら知らなかった話題もたくさん紹介されていて、満喫しました。

著者の勉強熱心さ、語学力の高さ、業績の揺るがなさなどに、畏敬の念を禁じ得ませんでした。

日本文学を海外へ伝えるにあたって、彼ほど力量ある学者を得たことは、日本にとり望外の幸運だったと考えます。

ご逝去をお悔やみ申し上げます。

また、ひとりの日本人として、感謝の気もちを捧げます。

小話に移ります。

キーン氏の過去の諸エッセイによれば、氏は来日後いつまで経っても周囲から「日本語を読めない」「日本語を話せない」と見られてしまう件を、とても嫌がっていらっしゃいました。

たしかに、ほとんどの日本人を凌駕する日本語力・日本語読解力をおもちのかたにたいして、失礼な態度だったでしょう。

しかし、

数日前、私は十年前だったら起こらなかったような経験をした。ある婦人が私に、最寄りの地下鉄の駅への行き方を尋ねたのである。それはまさに、私にとって喜びの瞬間だった。その婦人は私の外見におかまいなしに、私が駅の場所を知っていると判断したのだった。(pp.332)

嬉しげにお書きになっています。

生前、このような椿事が起こって本当に良かった、と思いました。

金原俊輔