『ネトウヨとパヨク』、物江潤著、新潮新書、2019年。

現代人が理解しておくべき社会事象を解説している一冊だと感じました。

「ネトウヨ」とは「ネット右翼(pp.19)」を指し、

ネット上で、「韓国人や中国人を攻撃する差別主義者」とか「戦前の日本を賞賛する人たち」といったイメージ(後略)。(pp.19)

です。

「パヨク」のほうは「左翼をもじった(pp.27)」表現であり、

あまりに幅広い対象に使われています。リベラルを自称しながら言っていることが支離滅裂な人々はもちろんのこと、国民民主党や立憲民主党といった政党全体を指す場合もありますし、最近だと自民党の石破茂氏にさえ使われるケースがあります。(pp.27)

とのことでした。

以下、この本の著者(1985年生まれ)は「ネトウヨやパヨクと呼ばれる人々を『対話不能な人』と広く定義(pp.5)」なさったうえで、精密に論を進められます。

論を進めるにあたっては、イギリスの哲学者「トゥールミンが提唱した議論モデル(pp.33)」が援用されました。

同モデルは、

1 事実

2 理由付け(論拠)

3 主張

の手順をしっかり踏んだ議論の仕方で、『ネトウヨとパヨク』ではこれがたびたび参照されます。

ネトウヨやパヨクの実態紹介というよりも、二・二六事件、あさま山荘事件、大震災後の東日本の状況、などを取り上げつつ、ネトウヨ・パヨクのありかたに迫ろうとする展開でした。

そして結論は?

つぎの文章が著者・物江氏の結論になると考えてよいでしょう。

独りよがりな正義こそが、実は対話のできない人間への第一歩です。ネトウヨやパヨクと呼ばれる人たちへの入り口であるわけです。そのことを自覚しないと、私たちはいつでもネトウヨやパヨクになってしまうでしょう。(pp.167)

冷静で妥当なご意見と思いました。

わたしは氏に賛同いたしますが、ひとつ気になったのは、ネトウヨ・パヨクを変化させる方法として非常に「対話」を重視なさっている点。

対話が大事であることを否定する気もちはまったくないものの、対話の効力については疑問を禁じ得ません。

卑近なたとえをあげれば、

岸田秀、小谷野敦共著「『江戸の性愛』幻想を斬る」(収録:小谷野敦著『改訂新版 江戸幻想批判:「江戸の性愛」礼賛論を撃つ』、新曜社(2008年)

中島義道、小浜逸郎共著『やっぱり、人はわかりあえない』、PHP新書(2009年)

上記の書物を読むと、どんなに時間をかけ、精魂こめて語り合っても、対話という手段には残念ながら限界があるように感じられます。

むしろ(ネトウヨであれパヨクであれ)該当する面々を現状から脱皮させるために、他者の言動とその言動がもたらした結果を観察し、それにより観察した当人の言動が変化する「観察学習」の原理を応用してみるのはいかがでしょうか。

金原俊輔