『愛国心を裏切られた天才:ノーベル賞科学者ハーバーの栄光と悲劇』、宮田親平著、朝日文庫、2019年。

良書です。

「空中窒素固定法」と呼ばれるアンモニア合成法の開発が称えられ、1918年にノーベル化学賞を受賞したフリッツ・ハーバー博士(1868~1934)。

彼はドイツに生まれ育ったユダヤ人で、ドイツを愛しており、第一次世界大戦中には祖国のため毒ガス開発にすら手を染めました。

しかし晩年、ナチスが台頭した結果、ヨーロッパにおける他の多くのユダヤ人たちがたどった運命と同じ運命に襲われてしまいます。

そんな悲運の化学者の人生を解説した学術評伝が『愛国心を裏切られた天才』でした。

この本、なによりもありがたかったのは、わたしみたいに化学がまったく分らない残念な文系の読者であっても、すらすら読み進むことができる内容であったこと。

専門用語を理解できずに茫然自失してしまう、といった瞬間がありませんでした。

宮田氏(1931年生まれ)のご努力・ご工夫の賜物であり、お礼申し上げます。

さて、ハーバーは、誕生の際に実の母親を失いました。

冷たい父親とあたたかい伯父たち、聡明な継母、3人の異母妹、こうした人々に囲まれ成長してゆきます。

32歳だったときに旧知のクララ・インマーヴァーと結婚。

クララは後年、夫の毒ガス研究を嘆き、抗議の自殺を遂げました。

衝撃的な逸話です。

彼女自身が博士の学位を有する化学者だったので、よけい嘆きが深かったのかもしれません。

二番目の妻は、21歳年下で、学者ではないシャルロッテ。

陽気な女性だった由です。

そして1924年、ハーバーはシャルロッテと共に、招かれて来日しました。

ひと月半にわたる滞在ののち、夫妻はドイツへ帰ったのですが、

ハーバーは日本に深い感銘を受けて帰った。
それはただ日本側の歓待だけでなく、この国に大きな可能性を感じたからであった。(中略)
徳川時代の鎖国を経ながら急速に近代化をなしとげたと正確な歴史知識を披露しながら、アメリカの繁栄がヨーロッパ文化をただ移転したのにすぎないのに対し、自前でやりとげたのであると称賛している。(pp.204)

彼は、往時のわが国が孕(はら)んでいた将来性を、かなり正しく予想した模様です。

シャルロッテとはほどなく離婚しました。

離婚の原因は、

ハーバーが今日の言葉でいえば「ワーカホリック」でありすぎたことが仇になったのであろう。(pp.214)

こうした話題のほか、書中、ハーバーの卓越したリーダーシップ、ライバル研究者らとの闘い、ユダヤ人である悲哀、アインシュタインとの交友、日本人・星一(1873~1951、SF作家・星新一の父)が示した誠意、戦争、ヒトラー、イギリス、以上さまざまな人物・事項が輻輳(ふくそう)しています。

圧倒的なおもしろさの読物でした。

戦争・戦闘の恐怖にも思いがおよびます。

最終章「エピローグ」は、まさしく画竜点睛でした。

金原俊輔