『ナショナリズムの正体』、半藤一利、保阪正康共著、文春文庫、2017年。

半藤氏(1930年生まれ)、保阪氏(1939年生まれ)、碩学おふたりの対談を書籍化したものです。

対談の目標は(明言されているわけではありませんが)穏健なナショナリズムの模索だったのではないでしょうか。

ご両所は最初にナショナリズムという言葉の定義をなさろうとしました。

けれども、これはうまくゆきませんでした。

定義はともかく、ナショナリズムは「上部構造」と「下部構造」で成り立っていると話し合われ、上部構造を「国家ナショナリズム」、下部構造を「庶民ナショナリズム」、このようにまとめられました。

そしておもに上部構造が下部構造を圧迫したり悪用したりする趨向について語られています。

わたしには納得できるご意見が多数登場しました。

いくつか引用すると、

保阪  一部の若者のナショナリズムの歪みは酷いですが、大人たちも酷いもんです。例えば、戦争体験を語るというとき、お爺さんやお婆さんが小学校へ行って、「戦争のときは食べるものがなくて、大変だった。毎日、毎日、雨あられと爆弾が落ちてきて……」と、こんな話ばかりしますよね。それが戦争体験ということになっている。(中略)
けれど、その酷い戦争をどうして始めてしまったのか、自分たちの国の軍隊がよその国で何をしたのか、二度と同じ事を起こさないためにはどうすればいいのか、こうしたことは、ほとんどの人が考えて来なかったんですよ。
自分の受けた被害しか覚えていない。被害者意識はあっても、他国に何をしたのかを知ろうとしないから、加害者だという自覚はない。(pp.79)

至極真っ当なご指摘と思われます。

また、

半藤  どうも歴史を直視することを自虐史観と批判する人たちがいっぱいいましてね。困ったことよと思うほかはないのですが、でも、本当に日本のことを誇りに思うなら、当然、過去の事実に目をつぶらないはずなんですよ。しっかりと目を開けて正面からきちんと見ることができるはずです。(pp.199)

ごもっともです。

対談の結論もしくは結論に近いこととして、

半藤  日本という国は、かなり優れた良い国だと思うんです。文化的にも伝統的にもね。これはもう少し、自信を持っていい。そしてそうした国を愛するのはいい。いわゆる愛国心というものです。それは尊い。(pp.250)

このようなご発言がありました。

上記発言は『反米という病 なんとなく、リベラル』、小谷野敦著、飛鳥新社(2016年)に出てきた、

日本はなかなか立派な文化を持った国である。そういう自信の持てない人が、ウルトラナショナリストになってしまったりするのである。軽いナショナリズムは、健全である。(pp.233)

と、よく似ています。

こうした冷静な性状が穏健なナショナリズムというものなのでしょう。

金原俊輔