『韓国人による北韓論』、シンシアリー著、扶桑社新書、2017年。

わたしが初めて読んだ北朝鮮がらみの本は、

『収容所に生まれた僕は愛を知らない』、申東赫著、KKベストセラーズ(2008年)

でした。

これは、同国自体にたいする興味があったからではなく、臨床心理学者として長きにわたり「特殊な環境で生まれ育つことは、当人の人間性にどのような影響をおよぼすのだろう?」との学術的な関心を有していたため、入手したものです。

そして『収容所に生まれた~』を読了し、わたしは北朝鮮の収容所におけるあまりの非人間性・残虐さが心底怖くなりました。
心理学の勉強をできたことに満足するいっぽう、国民のかたがたに深く同情しました。

以来、ぽつりぽつりと北朝鮮関連文献に接しました。

印象に残ったのは、『収容所に生まれた~』を含め、

『北朝鮮 絶望収容所:完全統制区域の阿鼻地獄』、安明哲著、KKベストセラーズ(1997年)

『北朝鮮 悪魔の正体』、青山健熙著、光文社(2002年)

以上の3冊です。

けれども、読むたびに気分が悪くなってしまうせいで、しばらくこの方面の読書から遠ざかりました。

今回、書店でたまたま『韓国人による北韓論』を見かけ、ひさしぶりに北朝鮮の本を購入しました。
2017年4月現在、アメリカ合衆国および同盟諸国と北朝鮮とのあいだに生じている緊張を改めて検討したかった、というのが購入の動機です。

わたしにはこれまでシンシアリー氏の著書を読む機会がありませんでした。

1970年代にお生まれの韓国人。
性別は男性らしく、韓国で歯科医師をなさっていたそうです。
『Wikipedia 日本語版』 によれば、いまは日本に居住されているとのこと。

本書タイトル内の語が「北朝鮮」ではなく「北韓」だった点に違和感をおぼえましたが、その理由は第1章第1節できちんと説明されていました。

リー氏は資料を駆使しながら冷静かつ客観的なご意見を語る執筆家のようです。

たとえば、北朝鮮人民が金家を指導者と仰いで思慕する「主体思想」の解説では、

一部の学者たちの間では、「主体思想は、もはや政治思想ではなく宗教に分類すべきではないか」という意見もあります。宗教関連データを扱うアメリカの「adherents.com」は、2007年、「またの名を金日成主義とする主体思想は、それを信じる人たちが他の国でコミュニティーを作らない点だけが異質で、社会学として見ると間違いなく宗教である」と結論づけました。また、その信徒の数は1900万人に及ぶため、信徒数で数えると世界10位になるとも主張しました。詳しくは書いていませんが、「信徒」とは北朝鮮の住民たちのことでしょう。(pp.69)

との言説を紹介した上で、ご自分のお考えを詳細に述べられています。

わたしは「学者やリー氏がそう言う以上、きっと宗教的なのだろう」と納得しました。
長期的な全体主義国家に身を置きつづけた結果、人々のなかに指導者への信仰のような崇拝が芽生えているのかもしれません。

ただ、数冊の書籍を読んだ経験から「北朝鮮の国民が本心で指導者を宗教的に崇拝しているだろうか」との疑念もいだきました。

好奇心を刺激される労作でした。

ところで、上掲書によると、北朝鮮の義務教育現場で目標となっている事項のひとつに、

「一つは全体のために、みんなは一人のために」という口号(*著者注:スローガン)を高く掲げ、組織と集団、社会と人民を愛し、党と首領、祖国と人民のために献身する精神品性を持つようにすることである。(pp.171)

がある由です。

「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」というのは、もともとはフランスの文豪アレクサンドル・デュマ(1802~1870)が用いた言葉で、日本にすこし誤訳されて入ったのち、ラグビーの世界で愛唱されるようになりました。

昨今の日本においてはラグビー経験者ならずとも知っている表現です。

これとそっくりのスローガンが北朝鮮で使われていたとは……。

そういえばラグビーは全体主義的な面が濃いスポーツです。

金原俊輔