『吉本せい:お笑い帝国を築いた女』、青山誠著、中経の文庫、2017年。

現在は大企業となっている吉本興業株式会社の創業者で、初代社長でもあった、吉本せい(1889~1950)に関する伝記です。

せいは経済的ゆとりがある家庭に生まれました。

しかし、尋常小学校卒業後、高等女学校へは進学させてもらえず、11歳で女中奉公の身となります。

奉公先でテキパキ働きました。

雇い主からとても目をかけられた模様です。

18歳だったときに吉本泰三と結婚。

紆余曲折のすえ、夫婦で興行の世界に足を踏み入れました。

以下は夫との死別後の話になります。

彼女が実弟・林正之助と共に会社を経営していた際、「会場まで出かけて楽しむ」という従来形式の演芸がラジオの普及に押されだしました。

危機感は強くなる。
その切り札はやはり、萬歳か。以前から正之助らが落語にかわる寄席の主役にと、萬歳をプッシュしていた。萬歳は落語とは違って、しゃべりだけではなくコミカルな動きで笑いを誘う要素が強い。聴くだけでは、その面白さのすべてを知ることはできない。つまり、ラジオではダメ。寄席に行って実際に見てみなければ、楽しむことができない芸能だ。(pp.137)

落語から漫才のほうに方向転換せざるを得なくなり、その結果、

現代の漫才では基本形の「しゃべくり漫才」なのだが、当時の人々には強烈なインパクトを与えた。吉本興業が「萬歳」から「漫才」へのネーミング変更に踏み切ったのも、寄席演芸の世界に新しい潮流が起きていることを感じとったから。(pp.139)

吉本興業の隆盛を導きだしました。

萬歳は古くよりわが国にあった芸能ながら、せいおよび正之助や吉本興業の人々が一点突破で今や多くの日本人を楽しませている漫才に育てあげたわけです。

敬服すべき経営者です(経営者としては大阪のシンボルである通天閣を買収するなどの大きなことも果たしました)。

夫婦無一文で実家に居候する肩身の狭い境遇から、一心不乱に働き大阪の演芸界を支配する興行王となった。その半生を振り返れば、自分で自分をほめてやりたい。そんな心境にもなる。(pp.216)

きっとそうだったに違いありません。

『吉本せい』は、才能ある人物が思うぞんぶん自己の才能を使い切る人生を描いた、爽快な内容の本でした。

金原俊輔