『山本直純と小澤征爾』、柴田克彦著、朝日新書、2017年。

わたしは本書のおかげで、自分の耳に残っているいくつかの古い音楽が山本直純氏(1932~2002)作曲である事実を知りました。

たとえば、

直純が作曲した「リンデンバウムの唄」。この年日生劇場にて、梓みちよ、北大路欣也の主演で大ヒットしたミュージカル「若きハイデルベルヒ」の主題歌である。彼の初期の代表的名曲で、「リン デン バウムの」となぞるように歌われるメロディー(作詞:岩谷時子)を思い浮かべる方も多いだろう。(pp.76)

高校時代に何かのテレビ番組で当該曲を聴き、好きになったのです。

しかし、音楽に疎いわたしには曲名の見当がつかず、いまに至っていました。

「リン、デン、バウム」と弾むように歌う部分を、間違えて「ディン、デン、バン」と聞き取ってしまっていたため、インターネットが普及してからも題名にまでたどりつけませんでした。

ヴィルヘルム・マイアーフェルスター著『小説 アルト・ハイデルベルク』、角川文庫(1954年)も読みましたが、むろん日本で作られた歌のことなどは書かれていません。

『山本直純と小澤征爾』でようやく正しい名称と作曲者のことを知り、長年の疑問が氷解しました(さっそく『YouTube』で視聴しました)。

上掲書において、山本氏がどれほど才能豊かな音楽家であったかが細やかに語られていました。

そして小澤征爾氏(1935年生まれ)。

いうまでもなく日本が誇る指揮者です。

世界の二強、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を定期的に指揮し、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座など世界のトップ歌劇場にも客演した。(pp.6)

2002年1月1日、小澤はウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」に登場した。(中略)87年にヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮台に立った後は、最高位のスター指揮者が登場するようになった。小澤の前の顔ぶれは、クラウディオ・アバド、カルロス・クライバー、ズービン・メータ、リッカルド・ムーティ、ニコラウス・アーノンクールといったヨーロッパの本流に位置するビッグネームばかりだ。小澤はそこに名を連ねた。(pp.222)

著者の柴田氏(1957年生まれ)は、小澤氏を「世界の第一線で西洋人と同格の評価と地位を得た、日本人唯一の指揮者(pp.7)」と敬しました。

その小澤氏、成城学園在学中にラグビー部に所属していた件は、よく知られています。

泥まみれでピアノのレッスンに行くこともあった。そこで母は、「指を大切にしなければ」とラグビーを禁止したが、小澤は隠れて続け、遂に試合で両手の人差し指を骨折。ピアニストへの道に暗雲が立ち込めた。そこで豊増は、「指揮者はどうか」と勧めた。(中略)もし小澤がラグビーをやらず、ピアノだけを究めていたら、「世界のオザワ」は誕生していなかったかもしれない。(pp.24)

いや、「もし小澤がピアノも指揮もやらず、ラグビーを究めていたら、ラグビーにおいて『世界のオザワ』が誕生していたかもしれない」と考えることだって可能です。

上記のように思うのは、わたしが和光大学の学生だったころ小田急線に乗っていた際に、ぐうぜんお隣に小澤氏が立たれました。

同氏は40歳代半ばぐらいだったでしょう。

つり革をもつ氏の腕が(当時、現役の体育会ラグビー部員だった)わたしの腕よりも太かったのです。

立派なラガーマンの体型でした……。

ラグビーのことはさておき、『山本直純と小澤征爾』書。

偉大な音楽家ふたりの友情や信頼を活写した良い作品です。

本文締めくくりの文章が印象的で、わたしは「おそらくラストはこう来るのでは?」と予測していたものの、いざ予測に近い文章に接したとき、やっぱりグッと感動しました。

最後に余談ながら、わたしは「2020年東京オリンピック」開会式に小澤氏が指揮者として登場される願望を禁じ得ません。

金原俊輔