『司馬遼太郎で読み解く幕末・維新』、小谷野敦著、ベスト新書、2018年。

司馬遼太郎(1923~1996)のほぼ全作品を概観し、内容や価値をひとつひとつ吟味した本です。

幕末から明治維新にかけての諸作に重点が置かれてはいましたが、司馬の筆はもっと広範に各時代を網羅したため、吟味の対象は幕末・維新ものに限定されませんでした。

また、本書は、司馬の小説を考察するだけではなく、歴史に関する記述も豊富で、歴史書の側面も有しています。

読みごたえがありました。

なかでも、第2章「幕末と『攘夷』」が圧巻。

井伊直弼(1815~1860)に対する司馬の低評価へ、史実に基づく強い異議が唱えられていたのです。

著者(1962年生まれ)の博識ぶりが窺えました。

ところで、小谷野氏が上梓される書籍には毎回なんらかの閃(ひらめ)きが含まれています。

今回の一閃は、

司馬ファンの岸本葉子も、鎌倉育ちであることと関係するのか、武士的な意識を持った女性である。(中略)何も岸本に限らず、日本で女子の間に少年愛ものが流行するのは、彼女らのなかに武士的感性があるからだ。(pp.207)

このくだりでした。

引用文の前後にくわしい説明がなかったため、小谷野氏がなぜこう考えられたのかは不明ですが、それにしても斬新なご指摘です。

おそらく、武家社会において見られた「稚児趣味」「衆道」が日本文化の一端として継続し、昨今の「BL(ボーイズ・ラブ)」を好む「腐女子」の存在につながっている、という意味でしょう。

わたしにはなかった発想でした。

しかも、「日本女性には武士的な感性が備わっている」との前提で眺めると、腐女子ばかりではなく「刀剣女子」のことまで説明が可能になります。

武士ときたら刀であり、刀は武士の魂、腰間の秋水、寄らば斬る、なわけですから。

海外にも腐女子だの刀剣女子だのが多数いるような場合は、こうした解釈はあえなく崩壊してしまうものの……。

小谷野敦著『評論家入門:清貧でもいいから物書きになりたい人に』、平凡社新書(2004年)を読むと、著者は精神分析を嫌い、行動主義心理学のほうに傾倒されている模様でした。

だとすれば、氏が本気で上記引用のような分析をおこなうはずはなく、軽い遊び心で書かれた文章なのだろうと想像します。

金原俊輔