『教養としてのテクノロジー:AI、仮想通貨、ブロックチェーン』、伊藤穣一、アンドレー・ウール共著、NHK出版新書、2018年。

わたしたち21世紀に生きる者は、当今のテクノロジーがどこまで到達しており、どの方向へ進みそうなのかについて、できるかぎり把握しておく必要があります。

著者おふたりはどちらもアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)のご所属。

テクノロジーの現状を熟知された専門家でいらっしゃることは疑いようもなく、それでわたしは上掲書を購入しました。

読みだすと、わかりやすい言葉で話が進められており、テクノロジーの素人にとって難解ではない内容です。

ただ、行間にただようムード(「テクノロジー賛歌」的なムード)には、自身が年配であるという要素も関係してか、かならずしも賛同できませんでした。

AIが人間の仕事を奪ったとしても、人間が「働く」ことがなくなるというわけではありません。僕もよく人に「AIに人間の仕事が奪われたら、どうすれば良いでしょうか」と聞かれますが、それは大きな誤りです。人間はお金のためだけに「働く」わけではないからです。(pp.36)

先端技術のせいで失業している人々はすでにいらっしゃり、その人たちが深刻な経済的逼迫をむかえる前に(AIなどにはできない)より人間的な仕事につけているわけではないという現実を鑑みると、ここはもっと重く受けとめるべきだったでしょう。

テクノロジーの進展次第ではありますが、自動運転においては、おそらく人間が運転するよりもAIやコンピュータのアルゴリズムに運転させるほうが、絶対的な交通事故による被害者は減ることになるでしょう。(pp.114)

おそらくそうなる、と思われます。

わたしがいくぶん心配しているのは、若者たちを中心に(ゲーム感覚で)自動運転の暴走族が流行すること。

暴走族はさておいても、自動運転が普及したらしたで、想定外の新たな事故だのトラブルだのが生みだされてしまうのではないでしょうか……。

こうした異論・疑問があったとはいえ、『教養としてのテクノロジー』は、テクノロジーの可能性を知り、テクノロジーを牽引する皆さまがどのような発想をしているのかを知るうえで、わたしにとって良い手引となりました。

ところで以下、本題から逸脱しますが、わが師B・F・スキナーにたいする言及がありましたので、説明しておきます。

スキナーの「強化理論」という有名な学説です。この強化理論は、いわゆる「アメと鞭」による条件付けで、学習効果が上がることを証明するものでした。
ところが最近では、学習を効果的に行うためにはクリエイティブシンキングやパッションが重要だという意見が優勢になっています。「アメと鞭」のようにシンプル化したメソッドはダメだというのがわかってきたのです。
それにもかかわらず、いまだに学校教育では「アメと鞭」の考え方が用いられています。先生が教えてテストをして、生徒の成績をランキングすることで学習を促すような手法は、当たり前のようにいまも存在しています。(pp.29)

これは、著者たちの理解不足というよりも、著者たちが参考にした文献自体の理解不足なのだろう、と想像します。

スキナーは、まさにここで批判されているようなシンプル化された教育法を見て、「適切ではない」と受けとめました。

その結果「ティーチング・マシン(教示器械)」を製作したほどです。

器械はスキナーが研究した(しばしば「アメとムチ」にたとえられる)「オペラント条件づけ」を応用していました。

わたしたち人間は、アメとムチで行動が変容するメカニズムを、例外なく有しています。

しかし、何がアメとなり、何がムチとして働くかは、人によってまったく異なります。

学校教師がそこをちゃんと見据えて教えれば、子どもたちのクリエイティブなシンキングを育んだり、パッションを高めたり、することができるのです。

このように、オペラント条件づけ、クリエイティブ・シンキング、パッション、を同列かつ排他的なものと見なさず、人においてはオペラント条件づけが土台になり、クリエイティビティやらパッションが動きだすのだ、と考えてほしいです。

そもそも、わたしはAIのさらなる進化のために、仮想通貨の普及のためにも、専門家・エンジニア諸氏がオペラント条件づけ理論を習得するのは必須、と信じています。

金原俊輔