『生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究』、仲野徹著、河出文庫、2019年。

非常に良質な科学解説書でした。

解説されていたのは科学それ自体というより、科学者たちや研究者たち。

ご自身が医師であり、生命科学を専攻されている著者(1957年生まれ)が、斯界に名をのこした全17名を選んで足跡をたどったものです。

本を読むのが好きである。なかでも伝記がたまらなく好きである。(pp.7)

自らこう述べられる著者ですから、多数の評伝および自伝を土台とした、重厚な内容の本になりました。

日本人は、

北里柴三郎(1853~1931)

森鷗外(1862~1922)

野口英世(1876~1928)

吉田富三(1903~1973)

以上の面々が語られています。

うち、森鷗外までをも生命科学者に含んだのは少々無理があったのではないか、と感じました(しかし、話は興味深かったです)。

北里柴三郎については、主として白人たちによる人種差別の結果、当人がノーベル生理学・医学賞を逃した件は有名ですが、今回『生命科学者たちの~』にて関連する箇所にいたったとき、わたしの中で悔しい気もちが再び煮え立ってきました……。

本書においては外国人研究者諸氏のエピソードがいっそうおもしろく、たとえば、わたしがこれまでお名前を知らなかったドイツのマックス・デルブリュック(1906~1981)という分子生物学者。

1969年、彼がノーベル生理学・医学賞を受賞した際、

「自分の成し遂げたことは他の人々のやっていたことと同じ程度のものであり、誰が受賞の対象となるかはむしろ運なのだ」と考えていたデルブリュックが、受賞を祝ってくれた人に贈ったのは平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり……」であった。(pp.274)

とのことです。

科学系ノンフィクションを読書中に『平家物語』が登場するというのは、まったくもって予想外のできごとでした。

つづいて、ロザリンド(ロージー)・フランクリン(1920~1958)。

優秀な女性研究者だったそうですが、「DNA二重らせんモデル」で知られるジェームズ・ワトソン(1928~ )とのあいだに確執がありました。

彼女の早世後、ワトソンが出版した『二重らせん』で、著者ワトソンはロザリンド・フランクリンを否定的に描き、

『二重らせん』の「ロージー」像は多くの人の記憶に刻み込まれてしまった。
「この本は少なくともロザリンドが永遠に記憶されることを保証してくれた」と伝える愛弟子クルーグに、ロザリンドの老いた母は「こんなふうに記憶されるなら、いっそ忘れられたほうがましです」と答えたというのはあまりに悲しい。(pp.219)

お気の毒です。

ちなみにワトソンは、

吉成真由美編『知の逆転』、NHK出版新書(2012年)

内のインタビューでも、ロザリンドのことを貶(おとし)めていました。

ノーベル賞を受賞した偉大な知性とはいえ、見下げ果てた人物です。

ところで、仲野氏は本書ご執筆にあたって(邦訳だけではなく)英語などで書かれた原典も参考になさっており、だからこそ読者は豊潤な情報を堪能できました。

ひとつだけ、

「魚釣りをするとき、私は大きな釣り針を使う。小さな魚を釣るくらいなら大魚を逸した方がいいからだ」が口癖だったセント=ジェルジらしい研究ではある。(pp.66)

この訳は変なのでは?

英文は「魚釣りをするとき、私は大きな釣り針を使う。大きな魚を釣るためには、小さな魚を逸すくらいの方がいいからだ」的な感じになっていたのではないでしょうか。

金原俊輔