最近読んだ本689:『三島由紀夫の日蝕 完全版』、石原慎太郎 著、実業之日本社、2025年
三島由紀夫(1925~1970)を俎上(そじょう)にのぼした人物論そして彼の対談録です。
三島と親しかった石原慎太郎(1932~2022)の手に成る一冊でした。
人物論は論旨が明確であり、仮借(かしゃく)ない批判も含まれていて、読みごたえがあります。
そのあとの、145ページ以降の「三つの対談」は、三島・石原が3度にわたっておこなった対談を再掲載したもの。
わたしには対談本を好む傾向があり、これは昔、
『闘論:君は日本をどうするか』、石原慎太郎、野坂昭如 共著、文藝春秋、1975年
を読んだところ、ドキドキするぐらいおもしろく、自分の知識収集にも役立ったのが、大きなきっかけです。「最近読んだ本495」
しかし、『三島由紀夫の日蝕』内の三島・石原の対談はあまり噛み合っておらず、(テーマは具体的なのに)話が抽象的で、楽しめませんでした。
そこで以下、対談は抜きにして、人物論に係る感想を述べます。
この現代に、誰にもさっぱり訳のわからぬことをやった挙げ句に腹を切って死んでしまったのだから、その異常さの故に過去の全ての奇矯さがそれに向って繋がり集約されているとしか考えられぬ仕組みになってしまっている。(P. 28)
ご指摘のとおりと思いますし、三島が「誰にもさっぱり訳のわからぬことをやった挙げ句に腹を切って死んでしまった」とバッサリ否定したのは、だれにも遠慮しない石原ならでは。
胸が空(す)きます。
つづいて、三島は剣道五段でした。
ただし石原は、三島の「反射神経は絶望的なもの(P. 54)」「竹刀を振り出すのを眺めて驚いた。(中略)声と振り下ろす竹刀の動きがたちまちちぐはぐにずれてしまい、しまいには全く合わなくなってしまう。(P. 60)」と高い段位所持に疑念を抱いており、そこで、レスリングおよび剣道に習熟していた知人の八田一朗(1906~1983)に、
「三島さんの実力というのはどれくらいですか。五段とかいっていたけど」
尋ねたら氏が実に困惑した顔をしてみせた。
「実のところは二級、それとも三級くらいですか」
私がいったら正直な八田氏は救われたように破顔してみせ、
「いや、三級は気の毒でしょう。一級はいっているのではないですか」(中略)
ある席で橋本大蔵大臣にあったが、議員の中では剣士として有名な彼に、かつて八田氏にしたと同じ質問をしてみた。
「いや、初段の力はあったと思うよ。(後略)」(P. 62)
わたしは引用箇所が気になって『Wikipedia』で三島の項を調べてみたところ、彼は1970年「世界剣道選手権大会」に出場し五段の台湾人選手と引き分けたらしいです。
五段と引き分けたのでしたら「一級」や「初段」より上の力があったのではないでしょうか?
そもそも、
『剣』、三島由紀夫 著、講談社文庫、1971年
は、かなり剣道に通じた作家でないと書けないのではないかと想像します。
なお、わたしが最も好きな三島の小説は『剣』ではありません。
『橋づくし』、三島由紀夫 著、文藝春秋、1958年
上記が心に残りました……。
最後に、『三島由紀夫の日蝕』の主題から大きく逸脱しますが、個人的に嬉しかった二つの話題に触れます。
まず、石原はスポーツの意義を語る中で、
その途上に誰しもが危険さえ伴う様々な身心の試練に晒される。
怪我の他にも、苛立ち、怒り、屈辱、劣等感、などなど。そのどれもが人間の精神の肥満を殺ぎ落とし、結果としてよろず人間の資質に関する公平な認識を育て、さらに謙虚さ、忍耐、自制心を培い、つまり精神の強靭さを与えてくれる。(中略)
あくまで他人との関わりの中で克服獲得しなくてはならぬ相対的な自己認識である。(P. 45)
この言葉、スクールカウンセラーだった当方が(スポーツとは関係なく)不登校の子どもたちや親ごさんたちに学校へ行くべき理由として申し上げていたことと全くと言って良いほど同じです。
自分のセリフがこんな洗練された表現となって目の前に出てきた事実に感慨をおぼえました。
もうひとつ、石原は雑誌のインタビューを受けた際、
「三島さんが死んで日本は退屈になった。これで僕も死んだら、日本はもっと退屈になるだろう(笑)」(P. 265)
これは、わたしが、
『老いてこそ生き甲斐』、石原慎太郎 著、幻冬舎、2020年 「最近読んだ本339」
で書いた石原の迫りくる死に関するコメントに似ている、と感じます。
金原俊輔