最近読んだ本693:『文化系のための野球入門:「野球部はクソ」を解剖する』、中野慧 著、光文社新書、2025年

まず、副題に含まれている穏やかでない表現について説明すると、

タレントのマツコ・デラックスによる「野球部は十中八九クソ野郎」説(後略)。(P. 22)

これがきっかけのようです。

上掲書に載っていたマツコ氏のご発言をよく読んでみれば、同氏は「名門野球部出身の人(P. 22)」だけを指しておられ、全国の野球部関係者たちを包括なさったわけではありません。

わたしは中野氏(1986年生まれ)の引用および話の進めかたに恣意性があると感じました。

ただし、発言を受けて「J-CAST」社が読者に実施したアンケートの結果では「全体の9割(P. 23)」以上が何らかの強度で「野球部はクソ」と思っている由です。

信じられない……。

わたしの思いはどのようであるかというと、日本において長らく、体格・体力・運動神経が優れている男子たち男性たちは野球を選び、他のスポーツをあまり選ばなかった、それほどすごい連中が野球部に集結していた、野球部は「クソ」どころか高レベルなアスリート集団である、というもの。

プロ野球では2軍選手だった尾崎将司氏(1947年生まれ)がゴルフを始めたところ「ジャンボ尾崎」として大成したエピソード、高校野球部時代に補欠だった大野均氏(1978年生まれ)がラグビーに転向するや日本代表に選出されたエピソードが、わが思いを裏づけています。

最近はサッカーにも人材が集まりだしている状況ながら、野球部員たちの能力は依然として抜群と言って良いはず。

だからこそ、一部の野球人はエリート意識で「クソ」な振る舞いをしてしまうのか?

中野氏は日本における、いわゆる体育会系の過去と現在、高校野球の歴史、プロ野球の歴史、武士道とスポーツのつながり、などを俯瞰し、考察をおこなわれました。

野球に題材をとった国内外の映画・評論・小説・マンガも多々援用されています。

一般教養として知っていると面白いと思われる情報(後略)。(P. 360)

に満ちた作品でした。

が、氏がタイトルで提示なさった件の「解剖」はありません。

わたしは『文化系のための野球入門:「野球部はクソ」を解剖する』は、表題のほうには応じている内容、しかし副題には応じていない内容、と受け止めました。

具体例として、

山際淳司の1986年の作品『ルーキー』である。(中略)
清原和博の、プロ1年目のルーキー時代の活躍を描いた作品だ。この作品の特徴は、清原の周辺人物にフォーカスを当て、周辺人物に清原のすごさを語らせて、清原本人の独白的な部分をできるかぎりなくすことによって、清原和博という存在を神格化することを、演出的かつ技巧的に行っている点にある。
実はこれは「不在の中心」といわれる、文学の一形式である。(P. 289)

まさしく「文化系」の読者諸賢に合った文章であり、いっぽう、こうした話をいくら掘り下げていっても「野球部はクソ」なる疑義の氷解には至らないでしょう。

中野氏ご自身が「中学、高校、大学と野球部を経験し、現在も成人の軟式野球(いわゆる草野球)を続けて(P. 5)」いらっしゃるそうですから、もしかすると論究を逡巡(しゅんじゅん)なさったのかもしれません。

金原俊輔