最近読んだ本694:『不適切な昭和』、葛城明彦 著、中公新書ラクレ、2025年
メディア等において、昭和は一般に「暮らしが日々豊かになっていて、人間同士の温かなふれあいがあり、希望に満ち溢れていた時代」などと語られていたりする。
だが、それはあくまでも美化されたイメージであって、実態としては至る場面でトンデモがまかり通っており、どこまでも「野蛮で乱暴、いい加減で不潔、不便なことだらけの時代」であった。(P. 4)
こういう問題意識で書かれた本です。
著者の葛城氏は、昭和時代全般ではなく「昭和40年代~50年代を中心に(P. 5)」お話を進められました。
昭和30年生まれのわたしにとって懐かしいエピソードだらけ。
どんなエピソードが懐かしかったかというと、たとえば、お正月における街の様子です。
昭和40年代後半までは、三が日に営業している店など一部を除けば洋・和菓子店や寿司屋くらいだった。そのため、一人暮らしの若者などが年末に食料品の買い溜めを忘れると、めでたい正月も水だけで過ごしたり菓子で食い繋ぐしかなくなったりしていた。(P. 35)
これはまるで、わが実体験。
はじめて上京して迎えたお正月、何も備えていなかったため食べるものがなく、たまたま下宿の近くで売られていた干し柿を買って1月4日まで飢えをしのいだのです。
つづいて、喫煙の件も語られました。
当時は、電車内・バス内・飛行機内・飲食店・映画館・スポーツの試合会場から病院の待合室に至るまで喫煙OKで、基本的には吸えない場所など存在しなかった。(P. 19)
その通りでした。
昭和50年代、わたしが身を置いていた和光大学には講義中に喫煙をなさる先生がいらっしゃいましたし、そののち就職した全国社会保険労務士会連合会では自席での喫煙はもちろん、会議室における会議中の喫煙すら認められていたのです。
昭和の時代には、「女の幸せ」は結婚以外にはない、と考える人が多く、そのため農村などでは公立高校に花嫁修業をさせる「別科」が設けられたりしていた。(P. 121)
前半はおぼえています。
いっぽう、後半の「別科」は初耳でした。
わたしが住む長崎市にはそうした科を有する高等学校はなかったのではないでしょうか?
最後に、スポーツがらみの逸話です。
「ウサギ跳び」(後ろで両手を組み、しゃがんで膝前方へピョンピョンと跳ぶ運動)は1970年代まで代表的な筋力トレーニングの一つとなっていた。
これは猛練習や特訓、根性論の象徴のようにもなっており、そのほか部員に対する「罰」としても「ウサギ跳びでグラウンド×周!」なんてことがよく行われていた。(P. 108)
ウサギ跳び……。
当方、高校や大学のラグビー部ではおこないませんでした。
しかし、中学校剣道部時代にやらされました。
最近は「百害あって一利なし(P. 108)」との理由で禁止されているらしいですね。
本書では触れられなかったものの、練習中に水を飲むのがタブーだったことも忘れられません(われわれは「練習しているときに水を飲むと、胃腸が悪くなる」という迷信に支配されていたのです)。
以上、『不適切な昭和』では、「ああ、そうだった!」と記憶が刺激される昔話がつぎつぎ出てきました。
成功裏に「昭和文化史(P. 5)」を展望した作品です。
ところで、著者は書中、はじめのうちこそ昭和の日本社会に対して厳しめの指摘をなさっていたのですが、やがて、
こうしてふり返ってみると、やはり昭和は何のかんのといっても良い時代であったと思う。筆者にしても、「もし時間を戻せるとして、昭和・平成・令和のどの時代に若い時期を過ごしたいか」と問われれば、迷わず「昭和」と答える。(P. 225)
このように攻撃の手をゆるめられました。
よく分るお気もちです。
往時は尊い……。
ということは、わたしが幼かったころ大勢ご存命だった明治生まれの皆様も、おそらく同様に「やはり『明治』は何のかんのといっても良い時代であったと思う」と偲(しの)んでいらっしゃったのでしょう。
金原俊輔