最近読んだ本701:『戦国武家の死生観:なぜ切腹するのか』、フレデリック・クレインス 著、幻冬舎新書、2025年
現代日本において、
軍記物や武将伝、歌舞伎などをはじめとして、格段に豊富な資料が残されている江戸時代に作り上げられた戦国時代のイメージが浸透している(後略)。
つまり、現代から戦国時代を振り返るとき、その視界には江戸時代というフィルターが初期設定されているわけです。(P. 19)
この偏りを是正することが『戦国武家の死生観』の主たる目的であり、じっさい、当該目的に向かって、歴史的な事柄がきちんと書き込まれている本でした。
そもそも、わたしは、わたしたち日本人が戦国時代を展望するときに江戸時代の価値観が入り込んでいるため正確な展望をおこなえていない、という傾向に気づいていなかったです。
本書は「江戸時代というフィルター」なる問題を読者に示してくださっただけでも有意義な一冊であると思いました。
書中、
○明智光秀(1516?~1582?)が起こした「本能寺の変」の解釈には、江戸時代に形成された「暴虐的な信長像(P. 33)」が強く影響している
○戦国時代の主従関係は(江戸時代のそれよりも)流動的であり、自由度が高かった
○赤穂事件がもし戦国期に起こった場合、史実とは異なる展開を示したであろう
……など、関心が惹起される話題が続出します。
もちろん、武士の死生観および切腹についても、文献に基づき詳しい説明がなされました。
著者のクレインス氏(1970年生まれ)はベルギー王国ご出身。
現在、京都市にある「国際日本文化研究センター」教授でいらっしゃり、専門は戦国文化史・日欧交流史だそうです。
そんな学識者が執筆された『戦国武家の死生観』においては、武士や妻子たちにまつわる興味深い故事も多数紹介されました。
そのうちのふたつを引用すると、
戦国時代、武士の日常的な座り方は胡座(こざ)が一般的でした。(中略)
女性も日常的には胡座か立膝で過ごしていました。(中略)
江戸時代に入ると、人々の装いは活動的な小袖から身幅の狭い着物へと変化していきました。体に密着する細身の着物では、胡座や立膝の姿勢をとることが難しくなります。衣服の変化とともに、正座が次第に一般的な座り方として定着していったのです。(P. 39)
「胡座」とは、あぐら座りのことです。
つぎに、
たとえば、当時の武士が用いていた武器として、多くの人は真っ先に刀を思い浮かべるはずです。(中略)
しかしながら、刀の存在感が大きくなるのは戦乱の絶えた江戸時代以降のことで、戦国時代までは戦場における補助的な武器と位置づけられていました。それまでの武家社会で主力と考えられていた武器は弓矢です。(P. 158)
「諸国大名弓矢で殺す~」という(江戸時代初期に作られたらしい)俗謡を想起させられます。
ところで、これだけ情報に満ちた内容である半面、当方、禁教令に関してはクレインス氏の記述が不十分と感じました。
慶長17(1612)年に家康は天領におけるキリスト教禁令を布告し、翌年にはこれを全国に拡大しました。(P. 85)
この文章を含めてほんの数行、関連事項が書かれていただけなのです。
豊臣秀吉(1537~1598)のころに来日したポルトガルの宣教師や関係者らが5万人以上の邦人を奴隷としてヨーロッパへ送った件、わが国の戦国時代と同時期、白人カトリックたちがラテンアメリカのインディオに蛮行を働いていた件、(時代は下がるものの)カトリック教会が、18世紀にはアメリカのカリフォルニア先住民に対し、19世紀にはカナダの先住民に対して、ひどい仕打ちをした件、等々。
そうした実態と照らし合わせつつ、徳川家康(1543~1616)による「キリスト教排除の動き(P. 85)」をご検討いただきたかった……。
カトリック信者が多数派を占めるベルギーからいらしているクレインス氏には、もしかするとカトリックへの肯定的心情が沁みついており、そのせいで考察をためらわれたのかもしれません。
金原俊輔