最近読んだ本294
『「罪と罰」を読まない』、岸本佐知子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美著、文春文庫、2019年。
ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキー(1821~1881)が1866年に発表した『罪と罰』。
『「罪と罰」を読まない』は、同作を読んだ経験がない男女4名の著述家たちが、粗筋や結末をあれこれ勝手に推測して楽しむという、新機軸な座談会の記録です。
「読まずに読む」という、一見、矛盾しているようなフレーズが可能になる。「本を読まずに、本の内容を推しはかる」という意味である。(中略)
遊びから生まれたこの奇妙な読書会が、ほんの少しでも、「小説」というものの奥深さに触れられたらと思う。(pp.13)
上記は冒頭にて述べられている言葉で、これ自体がもしかしたら禅の「公案」を意識した、ある種のギャグではないでしょうか。
そして座談会がスタート。
みなさん、ドストエフスキーのことを「ドスト」と略し、主人公ラスコーリニコフは「ラスコ」。
ラズミーヒンという男性の登場人物は、
三浦 ラズミーヒンて、誰? 響きからして馬?(pp.91)
彼は、
岸本 ラズミーヒンは修造だよね。(中略)
浩美 え、修造って、松岡修造さん?
岸本 元気出そうよ!(と声色を真似る)
三浦 あはは。とにかく暑くるしいの。いえ、修造じゃなくラズミーヒンのことですが。(後略)(pp.246)
これより「修造」と呼ばれつづけました。
マルメラードフは、
三浦 マルメラードフ、マルメラード……覚えられないなあ。私、この人の名前を覚えられそうもないです。
岸本 マルメでどう?
三浦 いっそ、マメとか。
岸本 マメだ! マメで覚えられる。(pp.120)
あまりに本当の名前からかけ離れてゆき、頭痛すら起こります。
ストーリーについても、
浩美 やっぱり、ラスコってお金持ちなんじゃない?
三浦 1800年代に大学に行くっていうのは、社会全体からしたら恵まれた階層だと思いますよ。
篤弘 「貧しさが彼を押しつぶしている」って書いてあるけどね。
三浦 そんなこと言ったら、われわれのほうがずっと貧しいですよ。下女なんていないし。
浩美 家賃滞納で「背筋の凍るような恐怖を感じ」って。
三浦 (ひとりごとのように)どんどん踏み倒せよ、小心者めが……。(pp.31)
かけ離れてしまいます。
わたしはもっと痛快な談論を期待していたのですが、やがては頭痛のほうが気になりだしました。
未読の人たちによる意見交換だと到着地点を見出しようがないため、こうなってしまうのでしょうか。
しかるに、229ページ以降の「読んだ! 読後座談会」章は、参加者どなたもが実際に作品をお読みになってからの会話となり、さすがは当節ご活躍の諸氏、焦点をしぼった深いコメントが連発されます。
この章に達し、ようやくわたしは本書をおもしろく感じだしました。
とりわけ三浦氏(1976年生まれ)の鋭い指摘や笑えるコメントで一同をぐいぐい引っぱってゆくお力が光ります。
才気煥発なかただと思いました。
それにつけても、
三浦 さっき、文藝春秋の方に聞いたら、『カラマーゾフの兄弟』のほうが筋もはっきりしてるし、キャラも立ってて読みやすいっておっしゃってました。
浩美 『罪と罰』については?
三浦 読んだけど、よく覚えてないそうです。「最後どうなるんでしたっけ?」「自首するんですよ」「あ、そうでしたっけ」「それで、シベリアに」「あ、そうでしたっけ」って。ほんとに読んだのか(笑)。
岸本 何も覚えてないんだ。(pp.300)
わたしとて同様です。
『罪と罰』さらに『カラマーゾフの兄弟』を、約45年前、19歳だったころに読みました。
ドストエフスキーが語彙を無尽蔵といえるほど用いて書き込んだ文章の迫力に圧倒されました。
しかし、そのこと以外はもはや何もおぼえておらず、「読んだ」という事実だけが残っている、淋しい状況です。
金原俊輔