最近読んだ本524:『ペリー日本遠征随行記』、サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ 著、講談社学術文庫、2022年

明治期よりも前、少なからぬ数の外国人が本邦に入国し滞在しました。

訪日した人々のうちで、最も日本史に影響をおよぼした人物はだれかといえば、おそらくマシュー・ペリー(1794~1858)でしょう。

次点は、フランシスコ・ザビエル(1506~1552)あるいは鑑真(688~763)かもしれません。

さて、ペリー。

1853年(嘉永6年)7月と翌年2月、鎖国していたわが国へ艦隊を率いて来航、徳川幕府に傲然と開港を迫りました。

『ペリー日本遠征随行記』は、彼の2回の日本遠征どちらにも随行した通訳ウィリアムズ(1812~1884)が書きのこした日誌です。

交渉の現場に居合わせた関係者の記録を読めるのは今の日本人にとって僥倖で、実際、たいそう興味をそそられる内容でした。

第1回目訪問の1853年7月14日のページでは、米国フィルモア大統領の親書をペリー提督が戸田伊豆守に提出し、

事多かりし1日は、こうして終った。それは、日本の歴史に書きとどめらるべき1日であり、鍵はその錠に差し込まれ、この国の長い鎖国を打ち破るべき端緒が開かれた、銘すべき1日であった。(pp.127)

まさしくペリーの来朝は「日本の歴史に書きとどめら」れ、われわれは長らく、学校で教わったり、小説で目にしたり、ドラマで観たり、してきました。

結果、現在「ペリー」「黒船」「蒸気船」を知らない日本人はほとんどいないはず……。

わたしが最も関心を有しているペリーがらみの事柄は、第2回目寄港の際、吉田松陰(1830~1859)が金子重之輔(1831~1855)と共に密出国を企て、ペリー艦隊の一隻パウアタン号に乗船しようとした件です。

くわしい顛末が本書289ページから約6ページにわたり語られていました。

ところで、この種の読物をひもとく楽しみは、古い日本にまつわる細かな情報を入手できることです。

「最近読んだ本215」

『ペリー日本遠征~』もそうした話題に満ちています。

驚いたのは、

この民族の着物は中国人のと比べて、はるかに好ましからぬものだし、また、あまり上品でもない。(pp.298)

私が見聞した異教徒諸国の中では、この国が一番淫(みだ)らかと思われた。(中略)
婦人たちは胸を隠そうとはしないし、歩くたびに太腿(ふともも)まで覗かせる。(pp.307)

日本女性の着物や着こなしに関するこんな否定的報告、他の書籍ではなされていませんでした。

歯を黒く染めた婦人がいたが、彼女たちは、笑えば笑うほどわれわれに嫌悪の情を催させた。(pp.266)

お歯黒の奇習を嫌う感想は幾冊もの本に登場してきます(当然でしょう)。

異議を申し立てたくなる一節もあり、それはウィリアムズが江戸時代の「士農工商」に基づく上下関係を目撃した文章。

しかし、同じ人間でありながら、犬のように命令されるがままにこき使われたり、あたかもスパニエル[狆]の当然の成行きにすぎぬかのように、彼らの好奇心が挫かれ、都合が無視されたりするのを眼にすること、(後略)。
かくもおとなしく服従するこの国の民衆は、支配者から長い年月をかけて躾(しつ)けられたものに違いない。(pp.286)

こうした隷属状態からの解放は、キリストの福音によってのみなし遂げられるのではあるまいか。(pp.255)

彼がこう書きつづっていたころ、アメリカ合衆国では奴隷制度が法的に認められていました。

本人はその件をどうとらえていたのでしょうか?

自国の深刻な問題を棚にあげて他国文化をくさしていると言わざるを得ません。

そして、アメリカの黒人にはいつまでたっても「キリストの福音」が降り注がず、いっぽう、日本人はキリストの福音なしで「隷属状態からの解放」を達成した事実も指摘させてもらいます(きっかけはペリーだったわけですが……)。

金原俊輔