最近読んだ本193
『ザ・スパイ』、パウロ・コエーリョ著、角川文庫、2018年。
わたしが「スパイ」という言葉を聞いて連想するのは、
ジェームズ・ボンド
イーサン・ハント(アメリカ映画『ミッション・インポッシブル』の主人公)
明石元二郎(1864~1919)
リヒャルト・ゾルゲ(1895~1944)
陸軍中野学校
イスラエルのモサド
秋草新太郎(往年のテレビドラマ『隠密剣士』の幕府隠密)
などです。
虚構・史実をないまぜた、硬軟も混交する、ラインアップでした……。
マタ・ハリ(1876~1917)に関しては、特段の知識やイメージを所持していませんでした。
お名前をうっすら知っていた程度で、当人の国籍すら把握していなかったです(「中近東生まれの人物」と勘違いしていました)。
『ザ・スパイ』は、女性スパイとして著名なマタ・ハリを描いた「実話に基づいた物語(pp.7)」です。
本書を書店で立ち読みした際に、表紙と63ページにあった彼女の2葉の写真が魅力的だったため、つい購入してしまいました。
マタ・ハリの本名は、マルガレータ・ゼレ。
オランダ出身です。
美しい顔立ちと妖艶な身体のもちぬしでした。
長身痩躯(そうく)のしなやかさと美しさは野生動物のごとく、波打つ漆黒の髪は異国風で、わたしたちを妖(あや)しい世界へといざなう。(pp.65)
ダンサーおよびストリッパーとして活躍。
活躍の場はパリでした。
第一次世界大戦中、請われてドイツのスパイとなり、同時にフランスのスパイにもなりましたが、じつのところ、フランス側の情報を敵国ドイツに売り渡していた模様です。
つまり「二重スパイ」でした。
マタ・ハリは、
自分はフランスのために働くつもりなのだと言いました。(中略)
どのようにしてわが国の役に立つつもりなのかと訊(たず)ねると、彼女はむっとして答えました。「ご存じのくせに。ドイツにとったらわたしはH21号です。国の機密を扱う人間に対して、フランスは名前の選択に趣味のよさを見せてほしいわね」(pp.155)
二重スパイだった罪業により、フランスで銃殺刑に処されました。
処刑の日、彼女は従容として刑場へ赴いたそうです。
本書を通読し、ヒロインの素朴さや健気(けなげ)さ、20世紀初頭におけるヨーロッパ女性たちのあまり「すばらしい」とはいえない生活ぶり、パリのにぎわい、を知ることができました。
たとえば、
ロンドンとパリとどちらに行きたいかと訊ねられたらどうでしょうか。答えを聞くまでもありません。セーヌ河の交わるあの街に決まっています。美しい聖堂や教会、ブティック、劇場があり、画家や音楽家たちがいて、さらにはフォリー・ベルジェールやムーラン・ルージュ、リドなどのキャバレーも、もう少し大胆なものを望む人たちにはあるのですから。(中略)
退屈な時計の塔と人前には決して現れない国王のいるほうか、それとも、設計者の名をとってエッフェル塔として親しまれはじめている世界一の高さを誇る鉄塔があり、凱旋門(がいせんもん)があり、そしてお金さえあればいくらでも最高の物を買える店が並ぶシャンゼリゼ大通りがあるほうか。(pp.107)
このように。
いっぽう、わたしにはなぜマタ・ハリが銃殺されなければならなかったのか、読了後も合点(がてん)がゆきませんでした。
彼女が手にしていたフランスがらみの情報は低次元だったと考えられ、ドイツが情報をつかんで欣喜雀躍したわけではないでしょうし、フランスだって情報漏えいの結果、窮地に陥ったりはしなかったでしょう。
たかが知れた悪行だったのでは?
『ザ・スパイ』は、マタ・ハリの罪の軽さを訴えようとした作品ですから、読者がこうした読後感をもつということは、ねらいが達成されたのではないかと思われます。
それにつけても、151ページに掲載されていた彼女の晩年の写真は「あれほどの美女でもこんなに容貌が衰えてしまうのか」という失礼な感慨をいだかざるを得ないものでした。
マタ・ハリの美貌(びぼう)は以前からすでに失われている(中略)。
長期間にわたる自堕落な生活のためと思われますが、本日、ここに入所してきた人物は、目の下の隈(くま)は濃く、髪の毛は根元が色褪(いろあ)せていて、行動もかなり不審なものでした。(pp.170)
おそらく40歳前後だったでしょう。
老化が早すぎる気がします……。
さて。
冒頭、ジェームズ・ボンドの名前を記したことから展開させ、ここでボンドに関連する馬鹿話をひとつ。
むかし、映画『007 ロシアより愛をこめて』(1963年)にて「ボンド・ガール」をおつとめになった、ダニエラ・ビアンキ氏(1942年生まれ)。
ビアンキ氏がおきれいだったので、あるとき、わたしはインターネットで検索し、いくつかのポートレートを拝見しました。
ご高齢になってからの写真1枚も含まれており、その写真によれば大層お変わりになられていて、ファンとしては「見なければよかった」と後悔したのです。
金原俊輔