最近読んだ本334

『日本文化の核心:「ジャパン・スタイル」を読み解く』、松岡正剛著、講談社現代新書、2020年。

哲学・評論・編集・写真・書画・俳句・ビジネスなど、多方面で活躍しておられる松岡氏(1944年生まれ)。

上記のすべてに流れている通奏低音は「日本文化」です。

本書は、その日本文化を真正面から考察した、おそらくは氏のお仕事の集大成的な意味合いをもつ、労作でした。

無辺の知識が台風の日の荒波のごとく読者に襲いかかってきます。

テーマに関連させ、著者があちこちから随意に知識を引っ張りだしてくるような感じ。

わたしの場合、松岡氏の幅広い教養にまったく太刀打ちできず、読み進みつつ何度も当惑や敗北感を味わいました。

本コラムにおいて上掲書をまとめたり解説したりすることは、ちょっと、わたしの手に負えません。

ごくわずかながら「この件は自分とて発言できるかもしれない」と思った部分がありましたので、それらについてのみ書きます。

まず、著者は『日本文化の核心』なるタイトルの書物を書かれているわけですから、とうぜん「日本文化をどう定義するか」に苦闘されていました。

たとえば、(A)縄文文化、仏教文化、武家文化、元禄文化、昭和の文化というような大きな括(くく)りで説明するばあい、(B)草履の文化、俳諧文化、漱石の文化、豆腐文化、団地文化、オタクの文化というふうに標的を特定しながら説明するばあい、(C)旬の文化、ハレの文化、数寄の文化、余白の文化、粋の文化というふうにコンセプトを吊るして説明しようとするばあい、というふうに。(pp.263)

わたしが依拠する行動主義心理学では、文化をつぎのようにとらえます。

以下、

実森正子、中島定彦共著『学習の心理:行動のメカニズムを探る』、サイエンス社(2000年)

より、抜粋しました。

個体Aの行動を個体Bが目撃する。個体Bはその行動を模倣する。この行動を観察した個体Cも同じ行動を行うようになる。それを見た個体Dもそれを真似る。このように、模倣学習による行動の「伝播」が特定の集団内に生じることがある。(中略)「流行」とはこうした行動の伝播の結果生じた一時的状態であり、それが長く続くと「文化」とよばれるようになる。(実森・中島、pp.167)

要するに、文化とは長らく継続している流行であり、流行は特定の集団内でおこなわれている模倣である、というわけです。

寿司やお味噌汁は日本の文化である、いっぽう、タピオカ・ドリンク愛好は今のところ流行にすぎない、こうなります。

では、わたし自身がどう考えるかというと、模倣行動の背景には「強化刺激」「罰刺激」が存在します。

強化刺激とは人の行動を増加させる刺激、罰刺激とは人の行動を減少させる刺激。

そして文化とは、ある集団のなかで共有されている強化刺激および罰刺激、このように見て良いのではないでしょうか。

たとえば、お米だの梅干しだのお辞儀だのは日本で強化刺激・罰刺激として機能するが、アメリカ合衆国では普通そうならない、となります。

つづいて、著者は第8講「小さきもの」で、

小さいものは美しい。とても大事なものに感じる。そこがポイントです。
ここからは、日本人が短歌や俳句が好きな理由だけでなく、小庭(さにわ)や盆栽を愛してきた理由、小屋がけの見世物が流行した理由、小さな体でも大男を投げ飛ばせる柔道(柔術)が発達した理由、小さな一杯飲み屋や小上がりが好きな理由、さらには日本を代表するホンダやソニーなどのベンチャーがオートバイやトランジスタラジオやウォークマンを率先して開発してきた理由、カシオのミニ電卓が大流行した理由、ポケベルが流行した理由なども説明できます。(pp.166)

如上の主張をなさいました。

ご主張の骨子はわかる半面、「大きなもの」「長いもの」である、仁徳天皇陵、奈良東大寺それに大仏様、紫式部による『源氏物語』、相撲の力士たち、姫路城、戦艦大和(戦艦武蔵も)、わんこ蕎麦、名古屋市・広島市の100メートル道路、といった反証が頭に浮かんできます。

そういう例外も多数あり得るので、わたしは強引な鍵概念の使用に賛成いたしません。

第9講の「まねび/まなび」。

著者は日本人における「学び」の善し悪しを論じていらっしゃいます。

このとき、せっかく「女子高等師範学校の学校長だった中村正直らが原案を練り(pp.193)」とお書きになられたにもかかわらず、中村正直(1832~1891)が訳して出版した、

サミュエル・スマイルズ著『西国立志編』(1871年)

についての言及がありませんでした。

『西国立志編』は明治時代のベストセラーです。

若者たちが同書から刻苦勉励を学び、目標に向かって邁進(まいしん)した事実は、わが国の文化史に残るできごとでしょう。

『日本文化の核心』が当該できごとを語らなかったのは、片手落ちでした。

最後に、少々脱線します。

第4講「神と仏の習合」の前半、

七福神は「恵比寿・大黒天・福禄寿・毘沙門天・布袋・寿老人・弁財天」ですけれど、これらはインドの神や禅僧や日本の海神など、ごちゃまぜです。恵比寿は日本古来の漁業の神、大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の異名、福禄寿は道教の神さま、毘沙門天は仏教の四天王の一人……。それでも多くの日本人は、この七福神がたのしそうに宝船に乗ると、これをおもしろがり、町の七福神めぐりもする。(中略)
これらはまさに多神多仏の現象です。(pp.84)

こんな記述がありました。

以上に関し、わたしはすでに知識を有しています。

というのも、

中村光作画『聖☆おにいさん』第14巻、講談社(2017年)

にて、恵比寿様が登場する回があり、「七福神」のうち恵比寿様だけが日本ご出身の神と知ることができたのです(マンガはつくづく勉強になります)。

そのマンガを読むまで知らなかったのは、お恥ずかしい限りなのですが。

金原俊輔

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