最近読んだ本391
『メディア論の名著 30』、佐藤卓己著、ちくま新書、2020年。
メディア史研究家で京都大学大学院教授の佐藤氏(1960年生まれ)が、ご自身の来し方を振り返りつつ斯界の「名著」に接した思い出を語る、学術性が高い書評です。
語られた文献は全30冊。
このうち、わたしが読了したのは、上掲書での登場順に、
加藤秀俊著『文化とコミュニケイション』、思索社(1977年)
清水幾太郎著『流言蜚語』、岩波書店(1947年)
ウォルター・リップマン著『世論』、岩波文庫(1987年)
ピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』、ちくま学芸文庫(2016年)
以上4冊でした。
当方は往年、和光大学で社会心理学を専攻し、そんな学生にとって清水やリップマンの諸著作は等閑視できない重要な存在だったのです。
また、昭和時代の一時期、加藤は社会的な名声を博していた言論人であったため、こちらとしても興味をいだき、専門書および一般書複数冊を味読しました。
バイヤールの本には最近目を通したばかりで、このコラム書評においても紹介しましたが、あまり感銘は受けませんでした。
玄人(くろうと)の佐藤氏がバイヤール書を高く評価していらっしゃるということは、わたしの読解力に不足があったのだろうと思われます。
さて、『メディア論の名著 30』内の記述によれば、佐藤氏は研究者として「メディア史」の学問的アイデンティティをずっと模索されてきました。
メディア史が歴史学の下位領域にとどまるべきか、あるいは社会学や政治学などの学際領域として自立すべきか、(後略)。(pp.69)
こうした自問自答が書中いくたびか顔をのぞかせます。
氏がたどりつかれた結論は、
「メディア史研究とは文化のゴミ箱あさりである」(pp.337)
でした。
わたしの場合、メディア史なる学問領域の存在自体を知りませんでしたが、もっと広く「メディア学」に総括したうえで述べると、なんとなく「メディア学は社会学の一部分」と思い込んでいました。
正しくなかったみたいです。
それに、
メディア研究の主流は長らく社会心理学による効果研究であった。(pp.55)
たしかにそうで、だからこそわたしは多数でないとはいえメディアをテーマにした類書を読んできたのです。
いまでも時々、当該方面の本を手に取っています。
では、過去に読んだ作品をランキングであらわすとすれば……、
第1位 G・タルド著『世論と群衆』、未来社(1964年)
第2位 ウォルター・リップマン著『世論』、岩波文庫(1987年)
第3位 マーシャル・マクルーハン、エドマンド・カーペンター共著『マクルーハン理論:電子メディアの可能性』、平凡社ライブラリー(2003年)
第4位 清水幾太郎著『流言蜚語』、岩波書店(1947年)
第5位 デイヴィッド・リースマン著『孤独な群衆』、みすず書房(1964年)
第6位 エドガール・モラン著『オルレアンのうわさ:女性誘拐のうわさとその神話作用』、みすず書房(1980年)
第7位 辻村明著『新聞よ驕るなかれ』、高木書房(1976年)
第8位 W・シュラム編『マス・コミュニケーション:マス・メディアの総合的研究』、東京創元社(1954年)
第9位 藤田博司著『アメリカのジャーナリズム』、岩波新書(1991年)
第10位 竹内洋著『メディアと知識人:清水幾太郎の覇権と忘却』、中央公論新社(2012年)
こうなります。
第7位に位置づけた『新聞よ~』の執筆者・辻村明(1926~2010)は、東京大学にお勤めだった、社会学者でした。
生前、お会いしたことこそないものの、彼とわたしは「森田療法の元・患者」同士という関係で、親しみを禁じ得ません。
辻村明著『私はノイローゼに勝った』、ゴマブックス(1979年)
にて知った事実です。
金原俊輔