最近読んだ本450
『歴史なき時代に:私たちが失ったもの 取り戻すもの』、與那覇潤 著、朝日新書、2021年。
「つくづく歴史学というものが嫌になってしまった(pp.5)」とおっしゃる與那覇氏(1979年生まれ)。
お勤めだった大学も退職なさいました。
本書はそんな氏が上梓された最新の評論集および対談集です。
いつもどおり著者の鋭い頭脳が煌(きら)めくような内容で、たとえば、
なぜ新型コロナの感染者を責めてしまうのか。一般的なイメージには反しますが、現在の日本が世界でもまれな「個人主義の国」であることが一因だと思います。(pp.302)
引用文につづいた考察は、深く、間然するところがなく、とても勉強になりました。
さて『歴史なき時代に』の特徴は、歴史学における、
実証的に史実を明らかにしてゆくアプローチと、目の前の事象を理解可能な形にするために物語を紡(つむ)ぐアプローチとが、断絶してしまっている。前者が後者を一方的に叩く形の議論ばかりで、対話がない。(pp.170)
上記トラブルがたびたび語られることです。
歴史学内部の実証的アプローチと非実証的アプローチの諍(いさか)いがどういうふうであるのか、わたしには見当がつきません。
ただ、臨床心理学もその種の軋轢(あつれき)を有しており、往年は非実証的アプローチ(精神分析療法、短期療法、来談者中心療法、など)が人気を博したいっぽう、現今は実証的アプローチ(行動療法、認知行動療法)のほうが優勢になってきています。
後者陣営に身を置くわたしとしては、つい歴史学の趨勢が気になるのです。
著者は非実証側に共感なさっているみたいで、
事実だけが転がっていて物語がゼロの状態に、人間は耐えられないんです。(pp.171)
と、お書きになりました。
この「人間」が歴史学者を意味している場合、わたしとしては「耐えなきゃいけないさ」と言うしかありません。
そうでなくて、「人間」の語が歴史愛好家・学校の児童生徒などをさす場合は、臨床心理学の現場においても占いだの民間療法だの超常現象だの「物語」性だけが豊かな非科学を信奉する患者・クライエントは珍しくありませんから、わがことのように状況がわかります。
されど、
包括的な大理論が嫌われて、バラバラの個別研究ばかり量産される時代の副産物が「エビデンス主義」です。(中略)
世界の問題すべてを数字で可視化できるかのようにみなすのは、あまりにも驕った考え方です。(pp.430)
前半は「帰納法」を攻撃なさっているのでしょうか。
科学はそうやって発展してきたとしか返しようがありませんが?
後半部分のご意見は素朴すぎて……。
科学者たちは「世界の問題すべてを数字で可視化できる」とまで自惚れてはいないものの、かなりの問題は「数字で可視化できる」と想定しています。
著者におかれてはご発言の際に「操作主義」の闘いや工夫を思いだしてほしかったと感じました。
金原俊輔