最近読んだ本613:『天才と異才の日本科学史』、後藤秀機 著、角川文庫、2023年
壮大なノンフィクションでした。
明治時代初期から現在にいたるまでの日本の科学者群像を記述したもの。
著者(1943年生まれ)のご経歴を見ると、早稲田大学理工学部で応用物理学を、東京工業大学大学院で原子核工学を、それぞれ学ばれ、やがて生理学に転じられた神経生理学者だそうです。
そういう自然科学の広範囲に詳しいかたでなければ、この種の本は書けないでしょう。
・北里柴三郎(1853~1931)
・高峰譲吉(1854~~1922)
・長岡半太郎(1865~1950)
・野口英世(1876~1928)
・仁科芳雄(1890~1951)
・朝永振一郎(1906~1979)
・湯川秀樹(1907~1981)
わたしですら名前を知っている錚々たる碩学たちが登場しますし、著者は彼らの理論をきっちり理解されたうえで内容を説明してくださいます。
後半に近づくや(長崎県が誇る下村脩博士など)近年ノーベル賞を受賞した研究者諸氏も語られて、作品の重みが増しました。
本邦の自然科学の歴史に興味がある向きはぜひとも手に取るべき一冊。
書中、興味深い話題の目白押しだったのですが、そのうちより二つを選び、以下で考察します。
まず、
旅順戦での戦死者が1万5400名なのに対し、日露戦争の間、2万7800名が脚気によって病死している。戦死にも比肩できる数の病死者を出したのは、陸軍軍医のトップ森鷗外が高木からの忠告をはねつけていたからである。(pp.42)
森鷗外と乃木希典は、どちらも数万の将兵を殺した、日露戦争の二大責任者である。(pp.54)
森鷗外(1862~1922)の学問センスの悪さと頑固さのために多くの日本軍兵士が脚気で命を落としたのは有名な実話。
鷗外を責めても責めても責め足りません。
日々の研鑽を怠らないこと、他者の忠告には素直に耳を傾けることが、地位の高低にかかわらずどれほど大事であるかを思い知らされます。
つづいて、加藤元一(1890~1979)慶應義塾大学医学部教授は「不滅衰学説(pp.169)」なる説を提唱し、斯界に「革命(pp.175)」を引き起こしました。
その功績でソビエト連邦の生理学会に招待された由ですが、
最終日、モスクワに戻ってお別れセレモニーが開かれる。パブロフと並んで加藤は一段高いメーンテーブルに座った。パブロフは言う。
「加藤教授、私と何人かの先生が、あなたをノーベル賞に推薦しました」(pp.178)
イワン・パブロフ博士(1849~1936)は、条件反射のメカニズムを発見した、わが学派・行動主義心理学の草分けで、わたしが孫弟子と自認している米国B・F・スキナー博士(1904~1990)の先師的な存在でもありました。
そんな大物がひとりの日本人を厚遇・高評価してくれていたと知って、欣快の至りです。
引用したパブロフ博士の逸話ばかりでなく、『天才と異才の日本科学史』では人種や国籍がちがっても同じ専門領域の科学者同士が助け合い信頼し合う姿をたくさん紹介しており、読みながら温かい気もちになりました。
金原俊輔