最近読んだ本660:『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』、福嶋聡 著、dZERO、2024年

京都大学文学部をご卒業後、ジュンク堂書店に入社された福嶋氏(1959年生まれ)。

お仕事を通し、いわゆる「ヘイト本」の氾濫に遭遇なさいました。

ヘイト本とは主に「『嫌中嫌韓』本(P. 37)」を指します。

今の社会にはいわれなく弱者を攻撃する人々が、間違いなく存在する。在日外国人(中略)はそのような輩(やから)の攻撃によって、日々傷つき、大きな害を被っている。(P. 280)

在日コリアンが集住する京都府宇治市ウトロ地区の空き家に22歳の男が火をつけ、周辺の住宅を含めて計7棟を全半焼させた(後略)。(P. 299)

在日コリアンへのヘイトクライムがあとを絶たず、ヘイトスピーチが巷間(こうかん)に蔓延(まんえん)し、(後略)。(P. 334)

「京都朝鮮学校襲撃事件」で、「朝鮮人って悪いことなん?」と怯(おび)えきって問いかけた子供たちの大きな心の傷、(後略)。(P. 341)

ヘイト本のせいで上記のような事象が続出。

それでは、「書店人(P. 22)」「店長(P. 5)」である福嶋氏は「『ヘイト本』を書棚から外(はず)すという選択(P. 22)」をすべきなのか?

『明日、ぼくは店の棚から~』は、同氏が当該件を熟考し、模索し、結論にたどりつくまでの紆余曲折を綴(つづ)った随筆です。

特長は、著者がこよなき知性の持ち主でいらっしゃり、そのため、熟考・模索の際にさまざまな史実あるいは評論家たちが唱えた言説を縦横無尽に参照なさっていること。

レベルの高さに圧倒されました。

福嶋氏が能(あた)うかぎり誠実に、そして公平に、本書の主題へ向き合おうと努めておられるご様子も窺えます。

素晴らしい本でした。

おかげさまで、わたしはヘイト問題が極度に深刻で、しかし今のところ打つ手がほとんどない、という残念な事実を認識させていただきました。

ヘイトが渦巻く日本社会を俯瞰できるだけでなく、自分の中に蠢(うごめ)いているヘイト感情にも気づけた作品です。

おそらくヘイト言動を批判した書籍として『明日、ぼくは店の棚から~』は最高峰のうちのひとつなのではないでしょうか?

欲を言えば、

(1)日本のヘイト本の主張を知った中国人および韓国人の反応の紹介

(2)中国・韓国における日本へ矛先(ほこさき)を向けたヘイト本の収集と分析

(3)中韓にヘイト感情を抱いていない日本人の性向、日本にヘイト感情を抱いていない中国人や韓国人の性向、の考察

などに関しても記されていたら、いっそう充実した読物になっただろうと想像します。

コメントをあと2つ。

まず、福嶋氏は、

「嫌韓嫌中派」も、「反ヘイト派」も、自分たちが「正義」で、対極に「悪」がいて、その中間に誤った情報から守ってあげなければならない罪もなき一般大衆がいるという、「正義」-「無辜(むこ)」-「悪」といった三項図式を取る点では共通している。「正義」と「悪」の担(にな)い手(て)が入れ替わっているだけだ。(P. 34)

こう指摘なさいました。

引用文につきましては、新奇なご指摘というより、なべて「〇〇派」と「反○○派」の対立には同様の図式が成立するでしょう。

つまり「嫌韓嫌中派」と「反ヘイト派」に関連して「三項図式」が見られるのは必然ではないかと思われました。

2つ目です。

ヘイト本にしばしば潜んでいる「歴史修正主義(P. 63)」に「歴史学界がまともに議論をぶつけ合おうとしない(P. 63)」現実に対し、氏は、

いわば、学術の世界は、自らを社会的対立の蚊帳(かや)の外に追いやってしまったのだ。(P. 63)

と、ご批判。

ご批判を支持します。

支持すると同時に、わたしが身を置く心理学界が(当方も含め)心理学を装った妄説に真っ向から立ち向かわず「蚊帳の外」的な態度を決め込んでいる状況を、改めて反省いたしました。

金原俊輔