最近読んだ本682:『遠い「山びこ」:無着成恭と教え子たちの40年』、佐野眞一 著、中公文庫、2025年

『山びこ学校』、無着成恭 編、角川文庫、1969年

『山びこ学校』は、無着成恭(むちゃく・せいきょう、1927~2023)が担任として指導した山形県南村山郡山元村の「山元中学校男子22名、女子21名、計43名(佐野 書、P. 12)」による文集・詩集です。

1951年(昭和26年)に出版されました。

つづられている言葉に衒(てら)いがなく、そして厳しい自然のもと、寒村での貧しくつらい生活が活写された、「ひたむきな生活記録(佐野 書、P. 12)」です。

同書には大きな世評が立ち、ベストセラー、ロングセラー、となりました。

1955年(昭和30年)に生まれたわたし自身、少年期に読んだ記憶があります。

映画化され、外国語訳も出ました。

英訳版が出版されると、その英訳版からヒンズー語に転訳され、さらに中国語訳版も出版された。その一方、ユネスコの機関誌で5ページにわたって紹介されるなど、国際的な広がりまでみせていった。(佐野 書、P. 234)

わたしは『山びこ学校』の中身をほぼ忘れてしまったものの、唯一、断片的ながら頭にのこっていたのが、平吹光雄君という生徒が書いた「『うさぎ』という作文(佐野 書、P. 56)」の一部分、

うさぎをころすとき
こがたなで、こつんと一つくらすけると(なぐりつけると)
「きい きい」となきました
そして
うさぎのけっつ(しり)から
こがたなをさしました
それから
そりそりとむきました(無着 書、P. 79)

ウサギを殺して皮を剥(は)ぐような家事があることにびっくりし、「そりそり」なる擬態語の用いかたに感嘆したため、おぼえているのです。

さて、『遠い「山びこ」』は、『山びこ学校』を編纂(へんさん)した青年教師・無着成恭と彼の教え子たち43名の「その後(佐野 書、P. 15)」をたどったノンフィクション。

『山びこ学校』のヒットによって無着はスターになり、スターになったせいで以降の人生に狂いが生じてしまった模様です。

山元村の住民との折り合いが悪くなったあげく教職を辞し、東京に転居してラジオ番組などで活躍しだしました。

しかし無着は、マスコミへの登場頻度が増すにつれ、ズーズー弁の田舎教師という教育タレントとしての仮面を、知らず知らず身につけるようになっていた。(佐野 書、P. 428)

晩年は千葉県の小さなお寺で住職を務めていた由。

いっぽう山元中学校卒業生たちのほうはかなり地道かつ一途(いちず)にそれぞれの人生を切り開いたみたいで、嬉しいかぎりです。

ただし、極貧から這い上がれなかった卒業生の話題も散見されました。

『遠い「山びこ」』は、名声を得たのちそれを維持してゆくことは困難、師弟の温かい信頼関係にすら罅(ひび)が入り得る、置かれた境遇から抜けだせる人もいれば抜けだせない人もいる、そして、けっきょく誰もが病気や事故や自死や老衰で亡くなる……、といった人生の真実、人生の哀しみ、を描いた「骨太のノンフィクション(佐野 書、P. 505)」でした。

佐野眞一(1947~2022)の労作です。

最後に、山元中学校生徒諸子の生活の大変さを象徴するエピソードをひとつお伝えしましょう。

映画『山びこ学校』撮影の折に、

山元村の公民館で子供たちと一緒に3カ月間寝泊まりし、そのかたわら勉強の面倒もみた服部が一番印象に残ったことは、山元村の子供たちが学校の正門横にたつ二宮金次郎像をみて、「あればっかりのタキギを背負ったんじゃ、いくらでも本が読めらあ」と、笑っていった言葉だった。(中略)
その笑いが、貧しい山村に生まれた子供たちの怒りと悲しみを表わす精一杯の表現のように感じられた。(佐野 書、P. 244)

わたしは二宮金次郎が背負っているタキギ量が少ないと思ったことなどありません。

引用文を読み、山元村の子どもたちが家計を助けるべく「苛酷(かこく)な労働(佐野 書、P. 74)をしていた当時の状況がはっきりと脳裏に浮かんできました。

金原俊輔