最近読んだ本686:『甘粕大尉』、角田房子 著、朝日文庫、2025年

わたしが過去に読んだ、甘粕正彦(1891~1945)を主人公に置くノンフィクションは、

『甘粕正彦 乱心の曠野』、佐野眞一 著、新潮社、2008年

この一冊だけです。

ただし、

『満映秘史:栄華、崩壊、中国映画草創』、石井妙子、岸富美子 共著、角川新書、2022年 「最近読んだ本541」

においても、甘粕の為人(ひととなり)がくわしく述べられていました。

そして今回(2025年)。

1975年に出版された角田房子(1914~2010)の『甘粕大尉』が増補改訂版となって書店に並んでいたので、購入しました。

甘粕正彦に関心があったからだけでなく、当方が高校生だったとき、

『アマゾンの歌 日本人の記録』、角田房子 著、毎日新聞社、1966年

に接して角田の筆力に感銘を受け、とはいえ、その後彼女の作品を手にする機会を逃しつづけてきたため、「ひさしぶりに角田の堅牢な文章世界を味わいたい」と考えたのです。

さて、角田は『甘粕大尉』において甘粕の魅力を存分に語り、同時に彼の欠点や限界を容赦なく描述しました。

おかげでわたしは軽く抱いていた彼への好意を訂正せざるを得なかったです。

たとえば、甘粕は30歳代後半から満洲で活動しだしたのですが、

彼は「日満一体」を建国の基礎と考え、その実現に努力した。
しかし彼の理想とした「一体」とは、日満が対等に並ぶものではなく、「日」は支配民族、または指導民族として上位に立ち、その下に従順な「満」を密着させての一体であった。(P. 248)

同じく満洲での、別の逸話。

パーティーの最後にはご飯が出るが、主催者が日本人の場合、日本人には白米、満洲人には麦飯が配られた。(中略)
李香蘭はじめ満映の女優たちを酒席に呼んで酌をさせようなどという者には、眼をむいて怒鳴る甘粕だったが、彼もまた「みんなに白米を出せ」とは言わなかった。(P. 323)

角田は「昭和10年代に立ち戻って考えれば、これは大部分の日本人の限界であり、ごく平凡な一例に過ぎない(P. 293)」と書いておられ、心より同意するものの、だからこそ重たい不快感をぬぐえません。

『甘粕大尉』のページを繰ってゆくと、むかし、大陸や朝鮮半島で邦人がおこなった(あるいはわが国内で国民が中国人や朝鮮人たちに対しておこなった)蛮行に嫌でも目を向けなければならなくなります。

それらを起こした日本側の「理由のない、それゆえにいっそう根強い蔑視(P. 214)」に問題の根源があって、引用文に登場した「白米」「麦飯」エピソードは「根強い蔑視」の小さな現われでした。

本書では、甘粕が本当に大杉栄(1885~1923)と伊藤野枝(1895~1923)を殺害したのかどうかについての考察もなされています。

むろん興味をおぼえますが、わたしにとっては上記蛮行のほうがよほど気がかりでした。

締めくくりの「『甘粕大尉』と王希天事件:文庫版あとがきにかえて(P. 372)」に出てきた「中国山地教育を支援する会」なる「日本人の組織(P. 377)」の話題にすこしだけ救われた思いです。

金原俊輔