最近読んだ本698:『江藤淳と加藤典洋:戦後史を歩きなおす』、與那覇潤 著、文藝春秋、2025年

與那覇氏(1979年生まれ)が、本邦の第二次世界大戦敗戦や戦後について熟考した江藤淳(1932~1999)と加藤典洋(1948~2019)を中心に据えつつ、近現代の日本社会の展望をおこなった、歴史評論です。

わたしは同氏の作品を好み、これまで5冊を読了しました。

「最近読んだ本475」

「最近読んだ本450」

「最近読んだ本326」

「最近読んだ本176」

「最近読んだ本165」

氏の学識の深さおよび考察の鋭利さへの賞賛は上記5コラムでいたしましたので、今回は省略させていただき、その代わり、ふたつの感想を書きます。

まず、ひとつ目の感想。

與那覇氏が実証性を軽視なさる件です。

いま、歴史の研究者は数多い。しかし、(中略)人びとの生や実存とはなんのかかわりもない、実証史学の残骸があるだけだ。(P. 146)

「物語の過剰」を警戒し、大文字の思想のほころびをあげつらうことに知的な意味を見いだせた20世紀は、とうにおわっていたのだ。今日のわれわれの目の前にある危機は、おそれは、むしろ大きな物語の「過少」から来ている。
その自覚に立つ人のみが、いまだ人びとが歴史を生きていた時代をふり返りうる ― たんに古(ふる)証文を翻刻するのではなく「歴史」を書きえるのだと思う。(P. 167)

「歴史家ならざる歴史学者」とは、なにをする人なのか。歴史が宿ると称する古文書や旧蹟に人びとを連れまわし、文字どおり物理的に「歴史に触れさせる」のが仕事なのだろうか。
もしそうならきわめて呪物崇拝(フェティシズム)的な職業であって、むしろ歴史なき習俗社会のシャーマンに近く、(後略)。(P. 188)

こうしたご所存に対するわたしの異論は「最近読んだ本450」の書評で述べました。

当方、歴史とは、できごとの連続・交錯であって、人々がそれに何らかの「物語」をくっつけ、反省したり、誇ったり、意味を見出したり、教訓にしたりするのは結構であるものの、そうするにあたっては、より実証的に導きだされた知見の蓄積が不可欠、と考えます。

さもなければ、われわれは実態を反映しない架空の物語を創りあげることになってしまうでしょう。

なお、かつてマックス・ヴェーバー(ドイツ、1864~1920)は、真実の告知こそが学者本来の仕事であり、学者はそれ以上のあれこれを考えるべきではない……、このように発言したと記憶しています。

わたしは当該発言をおおむね支持し、その結果、「歴史学者」は「古証文の翻刻」だの「旧蹟」調査だのに勤(いそ)しむことが基本任務で、「物語」創作などに関与しなくて良い、「歴史家」へ向かう必要も特にない、かく思うのです。

ふたつ目として、村松剛(1929~1994)の話題。

歴史を教えるのをやめて以来、ぼくのお気に入りになった文芸評論家に村松剛がいる。(P. 298)

與那覇氏がどなたを「お気に入り」になろうと構いませんが、わたし自身が村松をどう受け止めているかというと、むかし、カトリック受洗を検討していたころに、

『教養としてのキリスト教』、村松剛 著、講談社現代新書、1965年

を読み、「なんか変だな」と感じました。

たとえば、

『新約聖書』は、ぜんぶで21種類の書から成り立っています。(村松 書、P. 63)

『新約聖書』は(21種類ではなく)27種類の書で成立している、と見るのが一般的です。

また、

キリスト教が愛の教えとしての面をもつことに、むろんまちがいはない。山上の垂訓は、そのことを明らかに物語っています。(村松 書、P. 176)

神の御国へ入るためにどう生きるかをイエス・キリストが弟子や群衆に説いた話が「山上の垂訓」であり、この垂訓に「愛の教え」はわずかしか含まれていませんので、「明らかに物語っています」という表現は行き過ぎている気がしました。

引用文中、「愛の教え」の具体例としては、「コリントの信徒への手紙」のほうが妥当だったのではないでしょうか?

とにかく、村松はキリスト教を十分理解していなかったように推察され、だれもがキリスト教を理解しなければならない義務はないとはいえ、理解不足な人物がキリスト教の入門書を出版するのは感心しない……と、彼への敬意が薄れました。

『教養としてのキリスト教』は相当古い本ですから、若い與那覇氏は目を通していないかもしれませんが。

金原俊輔