最近読んだ本717:『読んでばっか』、江國香織 著、筑摩書房、2024年
上掲書は、作家の江國香織氏(1964年生まれ)による書評集です。
当コラム「書評・読書論」で紹介してきた他の書評とは大きく異なり、ほぼ小説のみを題材にしていました。
最近、小説を読んでいないわたしにしてみれば、知らない作家、知らない作品、だらけ。
しかし、楽しめました。
なぜ楽しめたか?
まず、江國氏ご自身が心底読書を楽しんでいらっしゃるご様子が伝わってくるからで、伝わってきた結果、われわれ読者のほうも楽しくなるのです。
加えて、氏の文章が熱く、瑞々(みずみず)しく、叙情的でもあるため、『読んでばっか』を読み進む行為自体が心地よく感じられるのです。
だから楽しめました。
それでは、彼女の書評をふたつ選び、味わってみましょう。
エリザベス・ストラウト 小川高義訳 『オリーヴ・キタリッジの生活』(ハヤカワepi文庫)(P. 157)
アメリカの「ある町に住む人々を描いた連作短編集(P. 158)」で、江國氏は、
おもしろいのだ、結局のところ人というものは。(中略)
主要登場人物たちの平均年齢が高いので、そこには老いや諦念や、病や死や、共有もしくは理解の否定、としての沈黙が横溢している。
それでもなお、人生の艱難辛苦(かんなんしんく)と同時にある種のフェアさが、その人生に翻弄される人間の、複雑さや厄介さと同時に優雅さが、読みすすむうちにひたひたと胸に満ちて、小説ってすばらしいなあと思わせる一冊なのだった。(P. 160)
こう感じ入った由です。
つぎの書評。
氏が、
奥泉光 『東京自叙伝』(集英社文庫)(P. 112)
を、お読みになったところ、
なんというか、もう、こてんぱんにやられました。ここで最初に言いたいことは、ともかくおもしろい! ということ。脳がしびれ、意識のどこかが冴え冴えし、自分の一部が物語に乗り移ったみたいになって、ぐんぐん、じゃんじゃか、読んでしまう。
言葉がそうさせるのだ。もっともっと、先へ先へ。(P. 112)
かくも高揚なさいました。
わたしがもし『オリーヴ・キタリッジ~』や『東京自叙伝』の著者だったら、こんなに感情移入してもらえ、詠嘆してもらえて、さぞや嬉しいだろうと想像します。
以上、本書は、書物に全身全霊で向き合う人物が、向き合いかたを教示して下さっているかのような作品でした。
ここから先は、江國氏の書評それ自体ではなく、氏が『読んでばっか』内でお書きになった事柄に関する、当方の感想です。
(1)本の中に長居する件:
江國氏は、
バーバラ・ピム 芦津かおり訳 『よくできた女(ひと)』(みすず書房)(P. 182)
を語る途次、本好きな人なら誰もが同意しそうなお気もちを披瀝(ひれき)なさいました。
読み始めて、ひとたび中に入りこむと、でてきたくなくなる。小説の中があまりにも快適で愉快なので、つい長居をしてしまう。先が知りたくて読むというより、そこにとどまっていたくて読む。これはそういう小説だ。(P. 182)
読書の醍醐味(だいごみ)を言い尽くしている文章だと思います。
(2)作者と作品の件:
『読んでばっか』において、しばしば、江國氏が個々の作家への敬意や追慕の念を吐露なさり、そして、当該作家の私的エピソードに触れたのち、彼または彼女の作品を解説する、という流れが見られます。
芸術の領域では、哲学者ロラン・バルト(1915~1980、フランス)がおこなった問題提起をきっかけに、長いあいだ「作者と作品を切り離すべきか否か?」という議論が交わされてきました。
本書を読むかぎり、江國氏は切り離さないお立場である模様。
わたしも「作者を取り巻く歴史や文化、作者の体験、作者の性格や信条や人生観が、多かれ少なかれ作品世界に反映されているだろうから、切り離せないのではないか?」と考えています。
金原俊輔

