『読んでいない本について堂々と語る方法』、ピエール・バイヤール著、ちくま学芸文庫、2016年。

ヨーロッパでベストセラーになった本だそうです。

昨今の日本では「実は目を通していない書物に関し(見栄を張りながら)解説する」というドキドキな事態がほとんど生じておらず、「読んでいない」と悟られるのがみじめなため背伸びをして読書に励むような人々も減少しています。

わたしは「ヨーロッパはまだそうなっていないのか、インターネット類に押されず一定の知的状況が保たれているのか」と感心し、この本を購入しました。

バイヤール氏(1954年生まれ)は、フランス・パリの大学で教鞭をとっていらっしゃるかたです。

上掲書は、人の「読んでいない本について、したり顔で語る」行為を中心に、あれこれの深い考察を綴ったものでした。

たとえばシェークスピア『ハムレット』など、世界的に有名な諸作品への論評も含まれていました。
著者の読書量の豊富さが窺えます。

彼は前半、

図書館のなかで自分を見失わない教養人の能力は、一冊の本の内部でも同じように発揮される。教養があるとは、一冊の本の内部にあって、自分がどこにいるかをすばやく知ることができるということでもあるのだ。(pp.39)

こうした警句っぽい言葉を散りばめて、読者の興味をそそります。

おもしろかったので、わたしは勢いよくページをめくりつづけました。

しかし、やがて退屈しだしました。
タイトルどおり「読んでいない本」への対処法だけが延々と述べられていたためです。

退屈は「これだけテーマを絞っているのだから、もっと短くまとめるべきだった」旨の失礼な感想に変わってもゆきました。

このままでは同書自体がわたしにとっての「読んでいない本」になってしまいそうな雰囲気でした。

ところが、後半226ページ目以降、日本の夏目漱石著『吾輩は猫である』が引き合いに使われだし、さらには『草枕』もあつかわれました。

わたしは漱石ファンです。
俄然おもしろくなり、けっきょく最後のページまでたどりつきました。

バイヤール書にかぎっては「読んでいないのに堂々と語る」必要がなくなったわけです。

さて、著者は、大学教員というのは読まずにコメントする機会が多い職業のひとつ、とお考えでした。

たしかにそうなのでしょう。

ただ、わたし自身も大学教員ですが、わたしのように心理学の臨床家である場合は、ふつう素直に未読書を「読んでいない」と認めます。

なぜならば、臨床に携わる者にとって大切なことは、どれほどたくさんの書物を読んでいるかではなく、どれほどしっかり現場で責任を果たしているか、ということだからです。

いっぽう、心理学の研究者たちのほうはどうかというと、研究者にとっては本よりも論文を読むことが大事ですし、論文も古いものはめったに読まず、新しいものばかりを追求します。

以上を思うと、大学に所属してはいても、心理学者たちの読書量は案外少ないかもしれません。

そして、それを気にするような状況はないのではないか、と想像しました。

金原俊輔