『日本ノンフィクション史:ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで』、武田徹著、中公新書、2017年。

表題にたがわぬ内容を有する、読者の期待を裏切らない本でした。

大宅壮一(1900~1970)の時代から現在までの日本ノンフィクションの紆余曲折が丁寧に解説されています。

有名無名のノンフィクション作家が大勢登場し、とくに草柳大蔵(1924~2002)および梶山季之(1930~1975)については縷々(るる)説明がなされていました。

草柳・梶山の両氏は、先日目を通した高橋呉郎著『週刊誌風雲録』、ちくま文庫(2017年)内でも敬意をもって語られていましたから、きっと斯界における重要な先駆者たちなのでしょう。

わたし自身は彼らの本を開いたことはないです。

『日本ノンフィクション史』は参考となる情報を満載しており、たとえば、

いち早く「ノンフィクション」の語をルポルタージュやドキュメンタリーに代わるものとして採用していたテレビ・ジャーナリズムの世界は1970年前後に物語を超えてファクト=事実に向き合おうとする先鋭的なノンフィクション観を生み出すに至っている。(pp.173)

という一節。
その流れがやがて活字のほうに影響したそうです。

映像の世界と活字の世界が相互作用しつつ成長してきたわけで、知っておくべき史実と思いました。

上掲書は、情報量の豊かさに加え、アカデミック・ジャーナリズムまで話題に含む斬新さを分かちもっています(一般的には、含まないのではないでしょうか?)。

わたしは、アカデミック・ジャーナリズムの全分野ではないにしても、心理学を中心に社会科学方面の専門書を読む機会が多かったため、嬉しく感じました。

満足にいたった読書でした。

ひとつだけ要望を述べます。

この本は、司馬遼太郎著『街道をゆく』吉村昭著『戦艦武蔵』城山三郎著『男子の本懐』といった、小説家が書いたノンフィクションについて触れていません。

上記3冊的な読物はふつうノンフィクションとはみなさない、あるいは「紀行」「戦記」「評伝」のように別のカテゴリーが存在する、などの諸事情はあったでしょうが、わたしとしては言及してほしかったです。

以上、『日本ノンフィクション史』に関するコメントを終わります。

では唐突ながら、わたしが今までに渉猟した日本ノンフィクション文学の、トップ・テンを発表いたします。

わたしはノンフィクション好きであり、そして無数の名作に遭遇してきたので、候補が多すぎました。

せめてもの対応策として、すでに本コラムで紹介したことがある作品は除外しました。

第1位 『きけわだつみのこえ:日本戦歿学生の手記』、日本戦歿学生手記編集委員会編、東京大学出版会(1952年)

第2位 『戦艦大和ノ最期』、吉田満著、講談社文芸文庫(1994年)

第3位 『お告げのマリア:長崎・女部屋の修道女たち』、小坂井澄著、集英社文庫(1985年)

第4位 『忘れられた日本人』、宮本常一著、岩波文庫(1984年)

第5位 『アーロン収容所:西欧ヒューマニズムの限界』、会田雄次著、中公新書(1962年)

第6位 『自由と規律:イギリスの学校生活』、池田潔著、岩波新書(1949年)

第7位 『福翁自伝』、福沢諭吉著、講談社学術文庫(2010年)

第8位 『ロシヤにおける広瀬武夫』、島田謹二著、朝日選書(1976年)

第9位 『テロルの決算』、沢木耕太郎著、文春文庫(2008年)

第10位 『明治の人物誌』、星新一著、新潮文庫(1998年)

このうち『テロルの決算』は『日本ノンフィクション史』でも紹介されていました。

第1位・第2位については、日本人必見の書、と考えます。

第3位とした『お告げのマリア』は、かつてわたしが20歳台前半だったころ単行本のほうに接し、感動して、約10年後カトリックの洗礼を受け信者になりました。

自分の人生を大きく変えた本です。

金原俊輔