『文士の遺言:なつかしき作家たちと昭和史』、半藤一利著、講談社、2017年。

半藤氏(1930年生まれ)は、改めて述べるまでもなく、高名な著述家でいらっしゃいます。

わたしの場合、これまで氏がお書きになった書物を読む機会に、あまり恵まれていませんでした。

10年ほど前、たまたま、この著者の『清張さんと司馬さん』、文春文庫(2005年)に接し、博学さに裏打ちされた精密な言説に感嘆して、日本史や日本文学の歴史を語るにあたり最も重要な人物であられることを認識しました。

本書『文士の遺言』は『清張さんと司馬さん』の続編のようなものです。

松本清張と司馬遼太郎のお二人が再登場してきました。

完成度は『清張さんと司馬さん』におよばないと思いましたが、『文士の遺言』のほうでは二人以外の文豪(森鴎外、志賀直哉、菊池寛、永井荷風、など)にも言及しているため、裾野が広い感じを受けます。

国民的な作家たちの逸話を知りたいとき、彼らの思想をじっくり学んでみたいときに、うってつけの一冊となるのではないでしょうか。

わたしの印象に残った文章を引用します。

いまはノンフィクションの時代であるという。ニュージャーナリズムの旗印をかかげ、若い書き手がぞくぞく登場しているようである。取材し証言をとり、史料(資料)を調べるのはいいが、その過程を得々としてかつ長々と語る私小説的手法が横行しているのはどんなものか。(pp.62)

わたしはある学術論文執筆時に多数の資料を用いたことがあり、その際、論文のなかでいっさい資料収集の苦労話は書きませんでした。

学問の世界においてはあたりまえの態度です。

したがって著者のご意見を支持します(佐野眞一氏が上梓した諸作では、資料入手までの紆余曲折が比較的頻繁に記されていて、わたしは違和感をおぼえていました)。

つづいて、半藤氏は文学者・哲学者らが実子に宛てた手紙を紹介したのち、

以上に挙げた四通の手紙は、近ごろのように、細かいところにまで気を配り、神経質すぎるほど子供の教育やらに熱心な親たちとくらべると、ドカンと根本的なことをいうだけで、そっけなさすぎるかもしれない。かゆいところにまで手を届かせて、申し分のない教育をしてやろうと考えている親たちには、ぜんぜん参考にもならないことであろう。でも、これで充分なのであると思っている。(pp.152)

というお考えを示されました。

このお考えにもスクールカウンセラーであるわたしは共感します。

親ごさんの過剰な関与が子どもさんの成長を阻害している状況を幾度も見聞しましたので。

以上、氏はなんだか「強面(こわもて)のご意見番」のようなかたです。

わたしは敬意を抱きました。

いつの時代、どの分野にも、こうした存在が必要でしょう。

金原俊輔