『コンプレックス文化論』、武田砂鉄著、文藝春秋、2017年。

呉智英氏(1946年生まれ)という著述家がいらっしゃいます。

当代きっての知識人のおひとり。
学術的批評からマンガ論にいたるまで硬軟おりまぜた諸作を発表され、わたしはファンです。

こなた武田砂鉄氏は、生年が1982年の、気鋭の若手論客です。
ご勉強家で、文学にも評論にもサブカルにも精通しておられます。

もしかしたら「つぎの呉智英」的な人なのかもしれません。

さて、上掲書は「天然パーマ」「一重まぶた」「実家暮らし」「低身長」「ハゲ」といった全10種類のコンプレックスを取りあげ、考察したものです。
それぞれのコンプレックスを有する当事者たちへのインタビューも含まれていました。

例をあげると、著者はハゲに関して夏目漱石・坂口安吾がどう断じたかをたどり、

恋を「黒い長い髪」に象徴させていた夏目は、人様のハゲを雀扱いしていたわけである。こうして坂口安吾と夏目漱石についてハゲを軸足に比べてみると、むしろ「こころ」があるのは坂口で、「堕落」しているのは夏目じゃないかという気がしてくる。(pp.281)

夏目が『こゝろ』を書き、坂口は『堕落論』を書いたわけですから、笑える一節です。

つづいて「背が低い」章における鈴木圭介氏という小柄なミュージシャンへのインタビューでは、

鈴木  肉体を改造すると……なべやかんになる、と気づいたんですよ。同じように背が低いミュージシャン仲間と話していて、全く同じ意見だった。どんなにトレーニングしても最終的にやかんになるぞ、って。(pp.266)

この発言に対し、

鈴木さんを諦めさせたという点で、なべやかんが音楽界にもたらした功績は大きいですね。やかんになりたくない、音楽やるしかない、って。(pp.267)

と応じました。

武田氏ならば「背が低い男性の肉体改造」ときたらまず三島由紀夫を想起されたはずですが、そこは素通りして対談相手の言葉をきちんと受けとめられています。
礼儀正しい接しかたです。

本書では、

2002年から『少女コミック』に連載されていた織田綺『天然はちみつ寮。』(小学館)は、天然パーマの女の子・二階堂寧々が主人公の少女漫画だ。寧々は天然パーマをコンプレックスとして抱えているどころか、そもそも物語は天然パーマから始動する。(pp.28)

ロックバンドには、このような理不尽な解雇がいくらでも存在する。ザ・クラッシュのギタリスト、ミック・ジョーンズは「時間にルーズ」という情けない理由でクビになったし、超高速ギタリストのイングヴェイ・マルムスティーンは、「自分の嫁さんとイチャイチャしているから」という理由でボーカリストをクビにした。大友康平が率いていたHOUND DOGは、メンバーの解雇から派生し、バンド名の使用をめぐる訴訟騒ぎまで起こしている。(pp.64)

以上のように、わたしが知らない人物、題名を聞いたことすらないマンガ、まったく不案内なできごと、などもつぎつぎ登場してきました。

著者の守備範囲の広さが窺えます。

読了後の感想として、わたしはテーマおよびテーマのあつかいかたが斬新だと思いました。

しかし、ある話は硬くなったり、別の話はぜんぜん硬くなかったり、結局どっちつかずの読物になってしまった感は否めません。

呉氏だったらもっとうまくまとめただろうと想像します。

いまのところ武田氏は、硬めの評論または柔らかく軽妙なエッセイ、どちらかひとつに絞った本を書くほうが無難なのではないでしょうか。

金原俊輔