『検証 産経新聞報道』、『週刊金曜日』編、金曜日、2017年。

わたしの場合、「産経新聞」と聞いてすぐさま脳裏に浮かんでくるのは「司馬遼太郎が若かったころ、その会社に勤めていた」ことです。

なにしろこれまで同新聞を読んだ経験がないため、上記以外のイメージはなかなか出てきません。

そして司馬遼太郎の小説が大好きだった関係で、わたしは産経新聞にうっすら好意をもっています。

本書はその産経新聞を「偏りがある」「読者を操作している」「誤報が多い」「捏造記事もめだつ」などと厳しく糾弾したものでした。

たとえば、以下、古い話題の引用になります。

かつて「歴史の教科書に日露戦争で戦った大山厳・児玉源太郎・東郷平八郎らの名前が登場しない」というある大学教師のまちがった主張を各新聞が信じこんで報道し、のちに訂正記事をだした騒ぎがあった由です。

このとき産経紙は、

訂正記事はもっとも短く、責任のすべてを文部省に押し付け、『産経』の度量のなさを示していた。
それに同紙は日本海海戦90周年に間もない1995年5月22日の特集コラム「プリズム検証」で同じ誤報を再現した。「戦後四十年以上にわたって、『東郷平八郎』の名は小学校の教科書から消えていた。それが一斉に復活したのは平成四年春。(略)」という具合だ。
コラムは事前準備原稿でありながらこの始末。その後に訂正・謝罪はない。『産経』は思い込みで誤報を垂れ流し続ける新聞だ。(pp.238)

なのだそうです。

そうした体質が今にいたるまで連綿とつづいているらしく、『検証 産経新聞報道』の編者たちは、

ネット上では『産経』発のニュースがやたらに目立つ。ふだんあまり新聞を読まない若者などには、その右派言論がかなりの影響を与えているのではないか。(pp.4)

と懸念されています。

産経新聞への批判はまだまだたくさんおこなわれました。

『産経』の紙面には、常に①「反日勢力」や「サヨク」、「プロ市民」といった、通常の言論機関では設定されないはずの「敵」を意味する表現の多用、②目的意識的な戦前の国家及びその対外行動としての戦争に対する正当化の志向、③それに対する隣国からの批判への過度の敵対意識--といういくつかの特徴が、濃厚に認められる。(pp.177)

こういうふうに……。

本書に書かれている指摘が正しいとしたら同社は猛省しなければなりませんし、正しくないのならしっかり反論すべきでしょう。

ところで、わたしは読書中、ひとつのできごとを思いだしました。

評論家・立花隆氏の言説に疑問を投げかけた書籍が2001年以降に相ついで出版された件です。

佐藤進著『立花隆の無知蒙昧を衝く:遺伝子問題から宇宙論まで』、社会評論社(2001年)

谷田和一郎著『立花隆先生、かなりヘンですよ:「教養のない東大生」からの挑戦状』、洋泉社(2001年)

別冊宝島(Real 027号)編『立花隆「嘘八百」の研究』、宝島社(2002年)

朝倉喬司著『立花隆の正体:「知の巨人」伝説を斬る』、リム出版新社(2003年)

この4冊でした。

いずれも(あげ足とりの内容も含んでいたとはいえ)説得力を具備していました。

爾来ほぼ15年が過ぎましたが、わたしが知るかぎり、立花氏は4冊からの異議申し立てにたいし弁明をなさっていません。

論壇に身を置かれるかたとして望ましいご対応ではないようです。

しかし、これは個人の問題ですので、われわれは「そういう対応もあるだろう」で済ませてかまわないと考えます。

いっぽう産経新聞。

新聞は「社会の公器」と見なされる、個人を超えた存在です。

立花氏と同様のふるまいは許されません。

産経新聞社が自らに向けられた疑義や追及を黙殺しない姿勢のもちぬしであることを期待しています。

金原俊輔