『西太后秘録:近代中国の創始者 上・下』、ユン・チアン著、講談社プラスアルファ文庫、2018年。

わたしはかつて、長崎ウエスレヤン大学附属図書館に勤務されている司書のかたからユン・チアン氏(1952年生まれ)の存在を教えていただき、

『ワイルド・スワン 上・下』、講談社(1993年)

『マオ:誰も知らなかった毛沢東 上・下』、講談社(2005年)

以上ふたつを読みました。

どちらも圧倒的な物語性・情報を有する大作で、すぐさまチアン氏のファンとなりました。

氏は中国出身の女性。

2018年現在はイギリスにお住まいです。

『ワイルド・スワン』そして『マオ』は、チアン氏にとっての同時代のできごとや政治家らを題材にした内容でしたが、『西太后秘録』は過去の人物を描いたノンフィクションです。

西太后(せいたいこう、1835~1908)は、清国における権力者でした。

慈禧(じき)太后とも呼ばれました。

彼女がどんな成り行きで権力の座につき、長く権力を維持したのか、本人にどれくらいの才能・力量があったのか、清王朝の後半はどういう状況だったのか、『西太后~』は、そうした事項がみっしりと書きこまれた一冊でした。

文句なしの読みごたえを味わうことができました。

西太后は中国の近代化を推進しようとし、数々の業績をのこした由です。

とはいえ、「義和団の乱」で北京を脱出するとき。

彼女は、光緒帝の側室だった珍妃(ちんひ)に、自害を命じました。

珍妃は、

皇太后のまえに跪いて涙ながらに命乞いをした。慈禧は急いで発たなければならなかった。そこで、珍妃を井戸に投げこむよう宦官たちに命じた。
宦官たちがみなしりごみすると、若くて体格のいい崔玉貴(さいぎょくき)を指名し、ただちに命令を実行するよう怒鳴りつけた。
崔玉貴は珍妃を井戸の縁まで引きずり、助けを求めてむなしく泣き叫ぶ彼女を井戸のなかに投げこんだ。(下巻、pp.183)

西太后ご自身において「近代」が備わっていなかった模様です。

さて、清国の歴史をひもとく際、わたしのような日本人読者は、どうしても(日本がかなり一方的に仕掛けた)日清戦争に関する解説が気になります。

その話は「1894年、慈禧の不在に乗じて、日本が突然襲いかかってきたのである(上巻、pp.309)」という文章から始まっていました。

読みすすむと、

縁故主義の蔓延(まんえん)で無能な将校があふれていた。戦争を始められるような雰囲気はどこにもなかった。一方、厳しい軍事訓練を経た日本軍は戦闘準備万端の兵器と化していた。(上巻、pp.361)

近代化した日本の軍隊と突出した指導者の統率力に太刀打ちできるはずもなく、戦争の結果は最初から見えていた。(上巻、pp.363)

日本は遼東半島最南端の要塞港、旅順(りょじゅん)を陥落させた。旅順は満洲の陸路の入り口であるとともに、短い海路で天津に、さらに北京に通じている。この展開が日本の野心の大きさと能力の高さを慈禧にまざまざと見せつけることとなった。(上巻、pp.372)

おや?

日本を謗(そし)っていない。

著者が恨みつらみを述べられても不当ではないのですが……。

日清戦争だけではありません。

約10年後の日露戦争の話題でも、

日本がロシアに勝つと、まるで自分たちの勝利ででもあるかのように多くの中国人が有頂天になった。アジアの「小国」がヨーロッパの強大国を負かし、ヨーロッパ人はアジア人より優秀で白色人種は黄色人種より優秀だという固定観念を打ち破ったのだから。日本に対する評価は一気に上がった。(下巻、pp.314)

やはり肯定的なエピソードが記されていました。

その他、

大戦後、民主主義国家へ華々しい変貌を遂げた日本とは対照的に、中国は27年にわたる毛沢東の支配によって未曾有(みぞう)のどん底へ突き落とされた。(下巻、pp.352)

といった一行もありました。

なぜでしょうか?

巻末の「訳者あとがき」で、訳者・川副智子氏が『ワイルド・スワン』に触れながら、

世界で1千万部以上を売り上げたという同書の230万部以上を読んだのが日本の人々だった。(pp.363)

旨を紹介されています。

著者にはもしかすると親日的なお気もちがあるのかもしれません(『西太后~』の「謝辞」にカズオ・イシグロ氏のお名前も含まれていましたし)。

日本人読者たちの心情を忖度してくださった可能性すら考えられます。

いずれにしても本書は、調べがゆき届いた、完成度の高い、すばらしい書物でした。

王慶祥著『最後の皇后』、学生社(1991年)と併せ読めば、いっそう深く「清朝末期」史を把握できるのではないかと思います。

金原俊輔