最近読んだ本653:『航西日記:パリ万国博見聞録 現代語訳』、渋沢栄一、杉浦譲 共著、講談社学術文庫、2024年
徳川昭武(1853~1910)に随行してヨーロッパ各国を回った渋沢栄一(1840~1931)と杉浦譲(1835~1877)の紀行文です。
徳川昭武は、時の将軍・徳川慶喜(1837~1913)の弟。
慶喜は幕府使節団をパリ万国博覧会に派遣するにあたって、昭武を自分の名代としたのです。
一行は全部で33名。
慶応3年(1867年)1月出発、明治元年(1868年)12月に帰国、でした。
さて、本書。
渋沢・杉浦が2年近くにわたり海外で見聞した事柄について驚きを込めながら書きのこした文章を通し、現代のわたしたちも驚きや気づきを得ることができます。
たとえば、往路の船のなかで、
食後、カッフェー(コーヒー)という豆を煎じた湯を出す。砂糖と牛乳をまぜてのむ。たいへん、胸をさわやかにする。(P. 10)
わたしは引用文を読むまでコーヒーが胸をさわやかにすると思っていなかったのですが、読んだ以降は毎回そう感じるようになりました。
また、彼らの、コーヒーには驚くのに牛乳には驚いていない様子が、興味深かったです。
フランスでは、
シャンパーニュ郡はブドウの名産地でブドウ酒を醸造する家も多く、なかでもシャンパン酒がもっともすぐれている。(中略)
この日、昼食のさいに、一ぱいこころみたところが、はたして他の土地産のものにまさること数段のちがいで、その名声は、嘘ではなかった。(P. 108)
当方、シャンパンと他のスパークリングワインの味の違いがわかりませんので、渋沢や杉浦のほうが確かなテイスティング力を有していたと言えるでしょう。
ところで、
久米邦武 編著『特命全権大使 米欧回覧実記:現代語縮訳』、角川ソフィア文庫(2018年)「最近読んだ本166」
においても述べた件ですが、使節団は行く先々で丁重な歓迎を受けます。
フランスのマルセーユに到着した日には、
馬車に乗せ、騎兵一小隊が前後を護り、ガランド・オテル・ド・マルセーユというところに案内し、鎮台、海陸軍総督、市長らがそれぞれ礼服でかわるがわるに来訪し、安着の祝いを述べた。(P. 39)
同国のナポレオン3世(1808~1873)による接見の場では、
三段になった壇の上段左に皇帝、右に帝妃、左方に外務大臣その他の高官がならび、右方に高貴の女官がならんでいる。(中略)
皇帝から答辞があり、両国親睦の交際がはじまっていらい、今、お互いに会見できて満悦であると述べられた。(P. 46)
スイスに向かえば、
大統領、副大統領、その他の高官がそろって面謁し、たがいに両国懇親の祝辞をのべた。(P. 109)
イギリスは、
軍艦には国旗を多数たて、中央にあるもっとも高い檣(マスト)にはわが国旗をかかげ、その艦の艦長、士官一同はみな礼装で、乗り組むときには楽手兵卒が例のごとくに奏楽捧(ささ)げ銃(つつ)の敬礼をおこなった。(P. 134)
ほかにも数々の厚遇例が記されていました。
そのころの日本は隠れもない後進国で、当時、フランスだのイギリスだのが後進諸国にどんな仕打ちをしていたかを想起すると、不思議な気分になります。
もしや何らかの勘で、西欧はわが国がゆくゆく大化けすると予想したのかもしれません。
現に、米国海軍マシュー・ペリー提督(1794~1858)は、開国したのち日本の国力は速やかに先進国レベルに達するはずと確信していましたし。
金原俊輔