最近読んだ本356

『サムライ留学生の恋』、熊田忠雄著、集英社インターナショナル、2020年。

明治期に外国人女性と結婚した最も有名な邦人留学生は、おそらく新渡戸稲造(1862~1933)でしょう。

上掲書でも新渡戸について1章が設けられており、アメリカ滞在中の彼とメリー・パターソン・エルキントンとのあいだに生じたロマンチックなエピソードが記されていました。

新渡戸が黄色人種であるため、メリーのご両親は結婚に反対。

しかし、ふたりは反対を押し切って結婚式をあげ、新婚早々、日本へ移り住みました。

夫妻のツーショット写真は稲造が功成り名を遂げてからのものと思われ、ほっそりした稲造は大礼服姿、これに対し、ドレスに身を包んだメリーはでっぷりとして貫禄十分である。(pp.191)

181ページに載っていた写真では、メリーさん(たぶん20歳代のころ)は細面(ほそおもて)でお綺麗なだけに、微笑が誘われる文章でした。

理想的な夫婦生活をおくった国際カップルと思います。

さて、日本が開国して以降、多数の青年たちが海外に雄飛しました。

うち9名の事跡が『サムライ留学生の恋』で語られています。

9名の留学先は、それぞれの専門や使命に応じ、ドイツ、イギリス、アメリカ。

彼らは大学で学ぶかたわら、現地の女性と出会い、恋に落ち、婚約・結婚をしました。

本書で紹介されている逸話の特徴は(新渡戸の例とは裏腹に)欧米人が日本民族に対して強い差別意識を示さなかった点。

井上省三(1845~1886)は、ドイツ人ヘードビヒ・ケーニッヒと結婚したのですが、

ヘードビヒの弟のルードルフによると、省三は現地の女性たちの間でも人気があり、誰が彼の心を射止めるか、関心を集めていたという。(pp.61)

松平忠厚(1851~1888)なる人物が、アメリカ人カリー・サンプソンを妻として迎える際は、

カリーの父親ウィリアムは日本人との結婚について特に反対もせず、承諾した。(pp.148)

こんな感じでした。

ドイツにてテレーゼ・シューマッハ(1862~1924)と結ばれた薬学者・長井長義(1845~1929)の場合、

有能な長井をベルリン大学にとどめておきたいと願ったホフマン教授が彼をドイツ女性と結婚させれば、帰国することを諦めるだろうと、盛んにけしかけたというのが真相のようである。(pp.74)

かくなる応援すらあったみたいです。

留学生たちの優秀さ、彼らが大なり小なり漂わせていたであろう「武士道」精神、母国の将来を背負おうとする気概などが、周囲に好感を抱かれる要因となったのではないでしょうか。

それでは『サムライ留学生の恋』を読みながら、わたしに温かい感情が流れつづけたかというと、かならずしもそうではありません。

説明します。

本書によれば、尾崎三良(1842~1918)は日本人妻とイギリス人妻を同時にもつ重婚の罪を犯し、ひどい仕打ちをしつつイギリス人妻を捨てました。

藤堂高紹(1884~1943)も、すでにイギリス人の奥様がいたにもかかわらず、帰国後、一方的に彼女を離縁し、日本人女性を娶(めと)ったそうです。

うんざりしました。

無責任、恥ずべき連中です。

明治期に外国人女性と恋愛した最も有名な邦人留学生は、おそらく森鷗外(1862~1922)でしょう。

森鷗外著『舞姫』、集英社文庫(1991年)

主人公の太田豊太郎がドイツ人女性エリスに為(な)した不誠実な仕打ちは、そのまま著者・鷗外の悪行であり、しかも当時、鷗外だけがおこなったことではなかったわけです。

金原俊輔

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