最近読んだ本407

『鬼才:伝説の編集人 齋藤十一』、森功著、幻冬舎、2021年。

かつて齋藤十一(1914~2000)という大物編集者がいたそうです。

北海道生まれの東京育ち。

早稲田大学理工学部中退。

新潮社へ入社後、編集職に就き、重役となるや、1950年に『芸術新潮』を、1956年に『週刊新潮』を、そして1981年には『フォーカス』を、つぎつぎ創刊しました。

強気で前進するタイプです。

『フォーカス』が巷で評判だったころ、わたしは東京都千代田区の神田小川町にて月刊誌編集をしていました。

なにしろ自分自身が身を置くメディア領域でしたから、同誌のことはよくおぼえています。

「誰だって人殺しの顔を見たいだろ」
齋藤は81年10月、編集幹部にそう命じて写真週刊誌「フォーカス」を創刊したと語り継がれる。(pp.15)

「誰だって人殺し云々」の言葉もどこぞで聞くか読むかして、うっすら記憶にのこっていました。

とはいえ、齋藤が世間的に著名だったわけではありません(当方も知らなかったし)。

『鬼才』は「謎めいた天才編集者(pp.263)」齋藤の人生を細かに叙述しつつ、現代の読者へ「日本の出版界でいち時代を築いた(pp.18)」逸材を紹介する評伝でした。

編集者が主人公の伝記という性質上、山崎豊子、瀬戸内晴美(現:寂聴)、小林秀雄、五味康祐、松本清張、太宰治、新田次郎、筒井康隆、池波正太郎、等々、多数の作家・評論家たちが登場してきます。

それだけで十分おもしろいのですが、齋藤がきわめて個性的な男性であったため、ひとりの怪傑と出会う意味でも興味が喚起される作品でした。

わたしが個性的と感じたエピソードをいくつか引用すると、まず、齋藤の同僚の談話。

「齋藤さんは、朝必ず1時間から2時間、鎌倉の自宅でパイプをくゆらしながら、レコードを聴いていたそうです。(中略)」
齋藤は膨大な読書をしてきたが、読めば人に譲り、書棚に蔵書を飾って悦に入るタイプではなかった。数多くのレコードも同じように処分してきた(後略)。(pp.89)

しかも、

齋藤は自らを俗物と称した。(pp.203)

こういう一面を有し、彼に親炙した部下の回想によれば、

「齋藤さんは読者として自分自身の俗物的な部分を肯定しながら、ノブレスなものへの憧れを抱いてきた。書き物は教養に裏打ちされた俗物根性を満たさなければならない。そういうものにしなきゃダメだと考えてきたのでしょう。(後略)」(pp.254)

編集にあたっては、

齋藤はどんなに著名な人気作家であろうと、依頼した原稿が気に入らなければ容赦なく切り捨ててきた。(pp.79)

人生訓として有益だった発言。

「ライバルを蹴落とすようなさもしいことはするな。それが齋藤さんの教えでした。(後略)」(pp.254)

出版業界で長らく輝きを放った存在でした……。

以下は余談になります。

1985年、齋藤は売れゆきが芳しくなかった『新潮45+』誌の編集を引き受けました。

「プラスなんて余計なものはいらん」
齋藤はそう言い「新潮45」に誌名を改めた。(pp.225)

わたしはむかし職場の先輩たちと「せせらぎ会」なる小さな句会をつくって句作に興じており、そうしたところ『新潮45+』が会を取りあげ1984年2月号の「わが句会」欄に会員の俳句2句ずつを掲載してくれたのです。

わが句も載せていただき、これにはいまだ感謝しています。

すぐさま自宅の書棚をさがし、当該誌を見つけて、巻末ページを開き確認したものの、「編集兼発行者」は齋藤十一ではありませんでした。

表紙にまだ「プラスなんて余計な」記号が加えられていた時期で、彼が担当する前の刊行だったのです。

金原俊輔

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