最近読んだ本692:『天路の旅人 上・下』、沢木耕太郎 著、新潮文庫、2025年

西川一三(にしかわ・かずみ、1918~2008)という男性がいました。

第二次世界大戦中、日本の諜報員として中国奥地へ潜入し、情報を収集した人物です。

彼は、1946年(昭和21年)の春ごろに我が国の敗北を知ったのですが、大陸にとどまることを選び、その後、チベットやインドにまで足を延ばしました。

約8年間の旅。

1950年(昭和25年)に帰国しました。

上掲書は、その西川の大陸横断を詳細につづったノンフィクションです。

彼が日本に戻ってからの日常も書かれていました。

以下、本書がどんな作品であるかを示すために、中身を任意に引用しましょう。

まず、西川が3人のラマ僧たちの巡礼グループに入らせてもらい、ゴビ砂漠をめざしていたときのエピソード。

駱駝は、荷物を振り落として逃げ出してしまった。4人がかりでようやく取り押さえたが、興奮した駱駝が胃の中から吐き出したドロドロに溶けた草を頭から降り注がれてしまった。(中略)
一行には、それ以後も、次々と困難が待ち受けていた。(中略)
河が凍結していたのだ。駱駝は滑るのを恐れて氷の上を渡ろうとしない。土を撒(ま)いて駱駝を安心させて渡らせることにしたが、掘るシャベルもなく、凍りついた土を素手で掘り返さなくてはならなかった。(中略)
夜明け前、テントを張ったが、(中略)少し離れたところから煙が立っているのを見つけた。
そっと近寄って偵察してみると、漢人の商人の一行だということがわかった。(中略)用心のため荷物をまとめてそこから離れることにした。(上巻、P. 137)

つぎは、戦争中ビルマ戦線で日本軍と交戦したグルカ兵と、西川が偶然インドで出会って話をした際に、

終戦になり、英国軍によって日本軍が武装解除されたときのこと、ある日本軍の兵士が、その元グルカ兵に、一握りの刀を手渡して、こう言ったという。
「これは日本軍人の魂だ。眼の色の違う人種である英国軍の兵士には渡したくない。同じ眼の色をした東洋人のあなたに渡すことができるのを名誉に思っている。どうかこれをあなたたちの魂として東洋を護(まも)っていただきたい」
だから自分は、その刀を家宝として、大事に守っているのだと。(下巻、P. 280)

苛酷な気候や高山や砂漠の中で生きることができる強靭な身体、複数の言語を習得する頭脳、人々とすぐに親しくなる人柄、母国での単調な毎日を受け入れる地道さ、そういう特性を有していた彼には感嘆するしかありません。

彼とのインタビューを繰り返し「発端から終結まで25年(下巻、P. 371)」かけて本作をまとめた沢木氏(1947年生まれ)のご尽力も賞賛に値(あたい)します。

以上がわたしの感想なのですが、つけ加えとして、『天路の旅人』がどんな読者のかたがたに向いているかを述べさせていただきます。

まず、歴史好きなかた。

第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍や中国の八路(はちろ)軍が出てきますし、仏教の歴史にも触れることができます。

つづいて、文化人類学を専攻しているかた。

西川は諸国および諸民族の生活・文化・風俗を、ある土地においては「下男(上巻、P. 264)」として見聞、別の土地では「物乞いの群れに身を投じ(下巻、P. 76)」て見聞したため、専門書には記されていないであろう体験談が記されています。

さらに、スパイものに興味があるかた。

西川はまごうことなきスパイであり、自らを「『密偵』と呼んで(上巻、P. 10)」いました。

冒険譚を好むかた。

変装したり、国籍・名前を偽ったり、ゴビ砂漠を歩いたり、ヒマラヤ山脈に分け入ったりと、西川の潜入行は冒険そのものでした。

人情話を愛するかた。

「渡る世間に鬼はなし」的な逸話がつぎつぎ語られます。

最後に、ラマ教に関心をおもちのかた。

ラマ教の僧侶に成りすまして諜報活動をおこなった関係で、西川はラマ僧たちの修行を体験したのです(書中、ダライ・ラマ法王も登場しました)。

金原俊輔