最近読んだ本710:『日本エッセイ小史:人はなぜエッセイを書くのか』、酒井順子 著、講談社文庫、2025年

エッセイストとして長らく存在感を示しておられる酒井氏(1966年生まれ)が、

よくわかっていなかった、エッセイというジャンル。
数々のベストセラーエッセイや流行りのエッセイの歴史をたどることによって、その輪郭を探ってみた(後略)。(P. 244)

そんなご意図で執筆なさった作品です。

「エッセイとは何か」「時代とエッセイ」「女性とエッセイ」「エッセイの未来」の全4章で構成されており、ひとつひとつの章で、おおむね昭和時代から現代までのあいだの諸エッセイに関する、綿密な解説が書かれていました。

氏の文章にはエッセイ著者たちへのリスペクトも満ちています。

さて本書、わたしにとって懐かしいエッセイがつぎつぎ登場してきました。

昭和30年(1955)、ある随筆がベストセラーランキングの1位となった。それは、佐藤弘人(本名:弘)という著者が書いた『はだか随筆』。(P. 62)

実家にあったので、大むかし、読んだ記憶があります。

『はだか随筆』のブームを知る人は今、少ない。(P. 64)

きっとそうなのでしょう(わたし自身、同書が「ベストセラーランキングの1位」だったと知りませんでしたし)。

つづいて、

文筆家の子女によるエッセイの可能性を最初に日本に示したのは、明治の文豪・幸田露伴の娘である幸田文かと思います。(P. 165)

幸田文(1904~1990)のエッセイは未読です。

ただ、彼女の随想集『父・こんなこと』が、わたしの高校時代、現代国語の教科書に載っていて、その中の一節「水は恐ろしいもの、云々」を、なぜかいまだ忘れていません。

最後に、

1961年(昭和36)に刊行された、小田実『何でも見てやろう』は、ベストセラーに。この本は、当時20代の著者が、アメリカからヨーロッパ、アフリカ、アジアと、世界中を一人で旅した記録です。(中略)
翌年に刊行された小澤征爾(おざわせいじ)『ボクの音楽武者修行』は、若き日の著者が、音楽修業を積みながら欧米を渡り歩く様子が痛快なエッセイです。(P. 185)

2冊とも読みました。

当時の若者たちに顕著だった「まずは海外へ出てみよう!」的な動きの誘因となった本と言えるのではないでしょうか?

以上、『日本エッセイ小史』は、エッセイというジャンルの豊かさ・充実ぶりを認識することができる読物。

「懐メロ」ならぬ「懐エセ」と邂逅するひとときも楽しめました。

なお、酒井氏は、ご自分が上梓されたエッセイについてまったく語っていらっしゃらず、わたしは氏のそうした謙虚なご姿勢に好感をおぼえます。

金原俊輔