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『アベベ・ビキラ:「裸足の哲人」の栄光と悲劇の生涯』、ティム・ジューダ著、草思社文庫、2019年。
今日、その名前を告げ、さらに「裸足のマラソンランナー」とほのめかしても、いったいどれだけの人がアベベのことを覚えているだろう。どんなことでもいい。記憶している人がいれば、むしろその事実のほうこそ驚きかもしれない。(pp.122)
おぼえていますとも。
1964年の東京オリンピック。
外国人選手たちのうち、最も日本人に感銘をあたえたのは、おそらく、
男子マラソン金メダリスト、エチオピアのアベベ・ビキラ(1932~1973)
女子体操の個人総合で金メダルに輝いた、チェコスロバキアのベラ・チャスラフスカ(1942~2016)
陸上男子100メートル走にて10秒ゼロの大記録を叩きだし、金メダルを受賞した、アメリカ代表ボブ・ヘイズ(1942~2002)
この3名のかたがたでしょう。
わたしは当時9歳になったばかりでしたが、アベベの端正なたたずまいやチャスラフスカの気品さらにヘイズの精悍さは子どもにとっても印象的で、いまだ記憶しています。
さて、アベベ。
彼にはオンニ・ニスカネン(1910~1984)というスウェーデン出身の男性トレーナーがついていました。
上掲書では、ニスカネンの数奇な生涯の話も織り交ぜつつ、主人公アベベの「栄光と悲劇」が紹介されています。
かなり極端な栄光と悲劇でした。
栄光は、1960年ローマ・オリンピックそして既述の東京オリンピックにおける金メダル獲得。
アベベはアフリカ人として初めて五輪の金メダリストになりました。
2大会連続でマラソン優勝を果たした出場者も、オリンピック史上初だったそうです。
彼のエチオピア国内における人気はいうまでもなく、自国を超えてアフリカ全土の英雄と化し、尊敬され奉(たてまつ)られました。
悲劇のほうは、1968年、メキシコシティ・オリンピックでの途中棄権。
翌年には交通事故のため下半身不随となりました。
41歳の若さで亡くなられたことも悲劇的です……。
ざっくりまとめれば上記の粗筋になるものの、本書はもっと詳細・深遠にアベベや周囲の人たちの人生の浮き沈みを叙述していました。
スポーツ・ファンならずとも読んでみるべき一冊と考えます。
名著です。
読後「人間は哀しい」と感じる作品でした。
ところで、アベベは車いす生活になった葛藤のなかで英雄としてのふるまいを示しました。
アベベが再びその脚で立つことはなかったが、しかし、少なくとも心の強さはある程度まで取り戻していたのは確かだった。(pp.224)
1970年、パラリンピックの先駆けとなる車いす競技会に参加し、アーチェリーおよび卓球の試合に出たのです。
しかも1971年には、ノルウェー開催の身体障害者スポーツ大会で、
16名の選手が参加した犬ぞりレースで、驚いたことにアベベは1時間16分17秒で完走して1位に入賞した。(pp.224)
とのこと。
頭が下がります。
どのような状況にあれ次の目標を見据え努力し成し遂げる彼のありようを、つくづく、自分自身の生きかたの参考にしたいと思いました。
「次の目標」で連想したので、最後にもうひとこと。
アベベは東京オリンピックの期間中、すこし不機嫌になったのですが、
試合が終わってシャワーを浴びているとき、金の結婚指輪をなくしてしまったのが機嫌を損ねた原因だった。その後、エチオピアン・ヘラルド紙は、「浴室を清掃中の東京の主婦が紛失した指輪を見つけ、オリンピック組織委員会に手渡した」と報じたので、アベベも心底安心したに違いない。(pp.186)
こういう顛末だった由。
わが国を旅行する海外からの観光客が何かを置き忘れたり落としたりしても、しばしば拾った誰かが交番に届け、金品が持ち主の手元へもどってくる成りゆきは、外国人たちのあいだで「日本の魅力」として語られています。
こんな美風はぜひ維持されてほしいですし、とりわけ2020年東京オリンピック・パラリンピックの際には「ネコババをきめこまない」日本人の本領を発揮したいところです。
金原俊輔