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『学者の暴走』、掛谷英紀 著、扶桑社新書、2021年。

わたしにとって、展開されている主張がこれほどまで自分の思いと一致する書物は、めずらしかったです。

著者(1970年生まれ)は、メディア工学がご専門。

この点は臨床心理学を専攻した当方とまったく異なります。

それでも、

人文関係の学問を全てまとめて人文科学と呼称する日本の学問分類法には疑問の余地がある。英語圏のように「人文学」と表現して科学から除外する方が、より適切な分類といえるだろう。(pp.87)

わたしが大学および大学院でたびたび受講生たちに伝えた意見と同じご意見を提示してくださいました。

学術界は、科学(自然科学・形式科学・社会科学)ではない学問体系を人文学と総称しているわけですから、人文科学という呼びかたには矛盾もしくは誤謬があるのです。

つぎに、

理系の学者は、少なくとも学問の議論をしている限りにおいては、事実と希望的観測を厳密に分けるように訓練されている。それは日頃の実験を通じて身につくものである。(中略)
事実と希望的観測の区別ができる人は、現実社会においてはそれほど多くない。「非武装中立を宣言すれば外国は攻めてこない」というのは子どもでも分かる非現実的な妄想であるが、日本には学者を含めてこの妄想を本気で信じる(あるいは信じているふりをする)人が少なくなかった。(pp.104)

前半のご指摘に共鳴します。

たぶん心理学にはこういったタイプの未熟な学者が他の学問領域より多く存在しておられるのではないでしょうか。

学生時代・院生時代に被験体(ハト、マウス、リス、など)を用いた実験をちゃんとおこなわなかったせいかもしれません。

引用の後半、著者個人の政治的見解が標榜されており、抵抗がある読者もいるでしょうが、わたし自身はお考えに賛同します。

そして、タイトルに沿い「学者の暴走」として本書で糾弾された学者は、複数名でした。

上野千鶴子氏(1948年生まれ)のお名前が頻出します。

ジョン・マネーの実験の失敗が明らかにされてから5年が経っている2002年の時点で、自らの著書にこのような記述をしたことは、不勉強が原因であったのか、それとも彼女お得意の「本当のことを言わない」戦略の一環であったのかは分からない。いずれにしても、学者として失格であることは間違いない。(pp.182)

文中における「ジョン・マネーの実験の失敗」。

これは「『男性性(男らしさ)』『女性性(女らしさ)』というような性質は生まれつきなのでしょうか(pp.179)」なる疑問をもち、それらは「後天的に形成される(pp.180)」のではないかという仮説をたてて検証しようと試み、失敗に終わった、アメリカ合衆国の研究を指します。

「自らの著書」とは、上野氏が執筆した書籍のことです。

上記の件、わたしがどう考えるかを述べますと、上野氏が「男らしさ」「女らしさ」を後天的なものと見なす場合、後天的なる語は「学習して身につけた」と同義ですから、心理学の学習理論を踏まえたうえで議論をすすめていただきたい。

それをなさらないのだったら「不勉強」呼ばわりされても仕方がないでしょう。

著者の上野氏追及はつづきます。

団塊の世代を中心に、自分さえ勝ち逃げできればよいと考えている人は多い。自分が死んだあとは、日本が貧しくなろうが、中国に侵略されて多くの人が命を落とそうが、知ったことではないという態度は、前述の上野千鶴子をはじめ、日本の左翼知識人に広く見られる態度である。(pp.231)

第5章内の「知識人にどう責任をとらせるか」項にて語られていました。

経済面での成功をおさめた上野氏が「若者に貧しく生きることを推奨する(pp.202)」という、自身のありかたを別あつかいした、ちぐはぐ言動を批判するなかで書かれた文章です。

たしかに多少の不愉快さをおぼえざるを得ません……。

また、引用文にて言及されているとおり、著者は中華人民共和国にたいし強い危機感を有していらっしゃいます。

ふつう、世間一般では、中国の伸長は政治経済における問題とのみ受け止められていますが、実のところ全然そうでなく、かの国は学問を含め無数の分野にて深刻なトラブルを引き起こしているのです。

『学者の暴走』あちこちで幾度も著者の懸念が表明されました。

わたしはご懸念を「もっともなこと、大事なこと」と支持いたします。

金原俊輔