最近読んだ本488:『カルピスをつくった男 三島海雲』、山川徹 著、小学館文庫、2022年
カルピスは子どものころから身近だった飲み物です。
ずっと愛飲してきたのですが、ただ、どなたがつくったものであるのか、わたしは考えたことがありませんでした。
大阪府出身の三島海雲(みしま・かいうん、1878~1974)という人物なのだそうです。
彼は青年時代、やや「大陸浪人(pp.75)」的な生きかたをしていました。
そして1908年(明治41年)夏、いまの内モンゴルへ赴き、鮑(パオ)という知人宅でお世話になっていた際、
乳製品をはじめて口にした三島は鮑に尋ねた。
「これは一体なんですか」
「先祖のチンギス・ハーン時代から伝わる秘薬で、王者の食物です。これさえ食べていれば、病にもかからない。年も取らない。身体は丈夫になり、肥ります。2、3日食べれば分かりますよ」
はじめての乳製品に三島は、不老不死の霊薬にでも遭遇したような気がしたという。(pp.133)
内モンゴルでは「純白で生クリームかヨーグルトのような(pp.143)」乳製品を「ジョウヒ(pp.143)」と呼ぶらしく、
乳製品はジョウヒだった可能性が高い。これが日本人なら知らない人はいない「初恋の味」の原点となったのである。(pp.145)
とのことです。
三島は日本へ戻るやいなや、1917年(大正6年)に「ラクトー株式会社」を設立し、2年後にカルピスの販売を開始。
1923年(大正12年)、商号を「カルピス製造株式会社」に変更しました。
同社の業績は順調に伸びてゆき、伸びた結果、
カルピスの船出から88年後の2007年のカルピス社の調査で、日本人の99.7%がカルピスを飲んだ経験を持つという結果が出た。(pp.204)
つまりカルピスは「国民飲料(pp.204)」となったわけです。
このように人気が高く持続性も有するビジネスを興した人物の評伝が『カルピスをつくった男~』でした。
著者(1977年生まれ)はご自分のプライベートな体験も織りまぜながら物語を展開させます。
わたしが最も感動した箇所は1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」でのエピソード。
被災のただなかで、三島は、
被災者が池の水を啜っていると聞き、胸を痛める。疫病が流行したら被害はさらに大きくなる。そう危惧した彼はカルピスを入れた飲料水を配ろうと思いつく。
震災翌日からチャーターしたトラック4台のうち1台に三島自身も乗り込んで被災者救援に奔走した。(pp.206)
頭が下がる逸話です。
著者も感動していらっしゃるのですが、以下の、逸話が三島ひとりにとどまらない事実に、より感動なさっていました。
私は取材者として、2004年の新潟県中越地震をきっかけに災害発生直後の被災地を歩いてきた。2008年の岩手・宮城内陸地震、2011年の東日本大震災、そして2016年の熊本地震……。
地元企業の経営者が被災者を救おうと奮闘する現場に幾度も立ち合った。そのたびに私は破壊された帝都をトラックで走り回り、被災者にカルピスを振る舞う三島の姿を重ねた。(pp.208)
日本人が誇りに思ってよい同胞同士の助け合い精神かもしれません。
本書では、ほかにも、三島の人柄、経営者としての力量、彼と母親、彼を生涯支えつづけた浄土真宗、彼と奥様・子どもさん・友人たちとの関係、第二次世界大戦、カルピスのポスター制作の裏話、キャッチフレーズ「初恋の味」ができるまでの経緯、さまざまな話題が登場してきます。
金原俊輔