最近読んだ本657:『キリンを作った男:マーケティングの天才・前田仁の生涯』、永井隆 著、新潮文庫、2024年

前田仁(1950~2020)は、山梨県生まれ、大阪府育ち、1973年に関西学院大学を卒業しました。

その年、キリンビールに入社し、爾来、同社で活躍。

人口に膾炙(かいしゃ)する業績は、ビール「一番搾(しぼ)り」、発泡酒「淡麗」、缶チューハイ「氷結」、などの開発および販売です。

上記によりキリンの社員どころか同業他社の社員たちからも「カリスマ(P. 10)」「マーケティングの天才(P. 174)」「レジェンド(P. 236)」と見なされるようになりました。

『キリンを作った男』は、前田の70年の生涯と酒販業界の実相を語ったノンフィクション。

主人公における、

私欲を持たず、他者に対しては「ギブ・アンド・ギブ」で見返りを求めない。出世して立場が変わっても、廉潔(れんけつ)な姿勢を終始崩さなかった。(P. 11)

こんな魅力的な人柄がくわしく紹介されています。

さて、勤め先に大貢献した彼でしたが、左遷を経験し、キリン本社の社長にもなれませんでした。

一言居士(いちごんこじ)を貫く前田はどうしても煙たがられ、攻撃を受けることも多かった。安定が好まれる組織では「出る杭(くい)は打たれる」もの。(P. 11)

巨大企業の経営トップに収まるには、前田はある意味、あまりに優秀すぎたのかもしれない。(中略)
理不尽を許容して、政治的に振る舞うことが、あまり得意ではなかったのかもしれない。
前田は普段から自分の信念を貫く、ブレない人間だった。それが災いし、地位のある人の面子(めんつ)を傷つけてしまうこともあったのだろう。(中略)
明らかに、権力闘争を勝ち抜いていくような、したたかなタイプではなかった。(P. 347)

苦い文章であるものの、一面の真理を突いていると認めざるを得ないです。

もし若いころ本書に接していたら、わたしは自分のありかたを顧みただろうと思いました(当方、前田のごとき才は皆無だったにもかかわらず、上司や先輩がたとの口論・喧嘩は多めだったのです)。

『キリンを作った男』では、前田の話だけでなく、「酒類メーカー(P. 337)」各社の「ライバル社との商戦を戦う(P. 199)」姿も描かれています。

追いつ追われつ、抜きつ抜かれつ。

どの会社も大変でしょうけれど、読む側は感興をそそられ、あたかもスポーツ観戦をしているみたいでした。

「厳しいビジネス現場で戦う(P. 201)」企業戦士たちに勧めたい一冊です。

「あとがき」に記されている著者(1958年生まれ)の覚悟もキリンの度量も素晴らしく……。

ただし、書中、いろいろなビール名が出てきます。

ビール党諸氏が目を通した場合、ジョッキをグイッと傾け恍惚の表情を浮かべつつ「あ~、この一杯のために生きている」とつぶやく光景を想像して喉が鳴り、夕方以降の飲酒量が増えかねません。

わたしはどうだったかというと、日々麦焼酎ばかり飲み、ビールはほとんど口にしないので、平気でした。

ところが、

「氷結」をつくりあげた鬼頭英明は、2021年9月にキリンを退職した。キリンをほぼ同時期に辞めた門田クニヒコ、小元俊祐とともに、長崎県は五島列島の福江島に移住。クラウドファンディングで資金の一部を調達し「五島つばき蒸留所」(会社名も同じ)を建設。クラフトジン「GOTOGIN(ゴトジン)」を22年12月から生産している。(P. 368)

「GOTOGIN」は見かけたことあり!

長崎県産品ですし、ジントニックが好きですから、さっそくたっぷり購入して帰宅後の楽しみとさせていただきます。

金原俊輔