最近読んだ本497:『後悔の経済学:世界を変えた苦い友情』、マイケル・ルイス 著、文春文庫、2022年
上掲書は、人間ドラマと学問ドラマが交錯している、劇的かつ知的な、すばらしい本でした。
2名の天才心理学者が共同で研究を始め、彼らの研究は心理学界・経済学界を席巻しだす。
しかし、偉大な学者として世間がもてはやしたのは、なぜか、ふたりのうちのひとりだけ。
陰に隠れてしまったほうは複雑な気もちを抱き、やがて、脚光を浴びているもうひとりと疎遠になりだしてゆく。
疎遠になった理由として、両人の性格の齟齬(そご)も関与していた。
ところが、もてはやされていたエイモス・トヴェルスキー(1937~1996)は残念ながら病気で急逝、そののち、もてはやされなかったダニエル・カーネマン(1934年生まれ)が単独でノーベル経済学賞を受賞する……。
こんな顛末が重厚な筆致で記されている作品だったのです。
わたしは久しぶりに面白さのあまり本を離せなくなる、読書好きには「至福」ともいえるひとときを享受させてもらいました。
専門性が高い内容ではありましたが、主題となっている学問が心理学だったおかげで行動主義心理学者のわたしには難解でなかった、という事情も影響したと思います。
さて、心理学と経済学が融合した学問を「行動経済学」と呼びます。
行動経済学がどれほど人間心理の機微を説明できる学問であるかについては、『後悔の経済学』にてじっくり確認してください。
以下では、わたしが『後悔の~』で刺激され、発想した案件を書きます。
日常生活の種々の事柄、社会事象の種々の事柄に、とうぜん行動主義心理学や行動経済学は関わりをもっています。
具体例が交通事故でも地球温暖化でも環境破壊でも、ほかの何であっても構わないのですが、これより環境破壊をつかって説明しましょう。
心ある人々が長らく環境を守らなければならない旨を訴えてきました。
それなのに顕著な改善につながっていないのは、環境破壊問題が「遅延罰」であるためと考えられます。
遅延罰というのは、行動主義心理学の用語で、人が適切でない行動を起こした際、それにより本人が受ける不利益がずいぶん後になって出てきてしまう状況を指します。
これは当該行動を改めにくくする手続きです。
そして、わたしたちが環境に配慮しなかったせいで悲惨な事態を迎えるのは10年か50年ほど先であり、その結果、環境問題は遅延罰となってしまい、われわれは深刻に受け止めることができず、環境を乱す行動を取りつづける……。
これに対処するには「即時罰」すなわちすぐさま何らかの不利益を発生させる展開が望ましく、たとえば、環境を破壊するような物品の製造・販売をおこなう業者にたいして重い税金をかける、企業名を公表する、その物品を高額にして購買者が損をする仕組みにする、等々、が考えられます。
いっぽう、本書で学んだ行動経済学の「プロスペクト理論」の一側面を応用してみれば、
「プラスよりマイナスの変化に敏感になるのは、金銭的な結果に限ったものではない」と、エイモスとダニエルは書いている。「これは快楽機械としての人間という生物の、一般的な性質を反映している。ほとんどの人にとって、好ましいものを手に入れる幸せは、同じものを失う不幸せよりも小さいのだ」(pp.382)
環境に配慮したらどんな良い結末が待っているか、われわれの子や孫の世代がどれほど助かるか、などの「プラス」面に言及するのはすこし抑え気味にして、(日本なら)都道府県の環境対策が及び腰で改善が見られない場合、その都道府県の地方税を高くし全住民たちにお金を「失う不幸せ」を味わわせる、といった「マイナスの変化」に焦点を絞った施策が功を奏するかもしれません。
あるいは「利用可能性ヒューリスティック」。
ダニエルとエイモスは、人は何かが起きた直後、あるいは強烈な経験をしたあとでは、それが起きる可能性を誤って計算してしまうことに気づいていた。(中略)
核戦争の恐ろしさを訴える映画を観たあとは、核戦争について前より心配になってしまう。それが起きる可能性が高まったように感じるからだ。(pp.265)
だとしたら、環境破壊が極限まで行ってしまった悲しい地球の姿を展示した資料館を各地につくり、人々に訪れさせるような方略も効果的なのでは?
既述のどちらも行動経済学を熟知していないわたしの思いつきに過ぎないのですが。
金原俊輔