最近読んだ本567:『知の巨人が選んだ世界の名著200』、佐藤優 著、宝島社新書、2023年
わたしは佐藤氏(1960年生まれ)を「知の巨人」のひとりと見なすことにやぶさかではありません。
かねてより同氏における読書量の膨大さと読了した本の内容を自在に取りだし活用なさる頭の良さに舌を巻いているからです。
上掲書は、そんな氏が読者たちの「力強い道標(みちしるべ)となりえる(pp.2)」と確信される、古典200冊を紹介したもの。
多様な学芸領域の古典、しかもそれぞれの学芸の基礎と敬われる重要古典が、続々語られました。
ただし、佐藤氏がお選びになった200冊のうち、わたしが卒読した本はあまり多くなく、『知の巨人が選んだ~』のような啓蒙書に接して自分の読書がいかに不十分であるか、いかに偏っているか、イヤでも気づかされ反省しました。
むろんわたしが接した書物もありはして、とはいえ作品に対する評価は氏と当方とのあいだで時おり相違があらわれます。
たとえば、わたしは本書58ページに出てきた、
ジークムント・フロイト 著『精神分析入門』、新潮文庫(1977年)
を、けっして名著と思っていません。
また、192ページ、274ページの、
藤原正彦 著『国家の品格』、新潮新書(2005年)
ルース・ベネディクト 著『菊と刀:日本文化の型』、平凡社ライブラリー(2013年)
も、感心しませんでした。
さらに、佐藤氏は130ページで、1381年(弘和元年または永徳元年)に完成した、
『新葉和歌集』、岩波文庫(1992年)
を「三十一文字(みそひともじ)に託された無念と忠誠の思いに日本の思想の源流をみる(pp.130)」と解説なさいました。
『新葉和歌集』を未読である当方は解説を「そうなのか」と受け入れるだけなのですが、この『知の巨人が選んだ~』では触れられていない、平安時代中期、藤原公任(966~1041)が編さんした、
『和漢朗詠集』、講談社学術文庫(1982年)
を、大和歌と漢詩がならんで収録されており、海外の事物を取り入れつづけてきた日本社会を象徴している、そして現在の日本文化に直結している、非常に重要な詩集ではないかと考えています。
ところで、氏もわたしも目をとおした書籍のうち、評価が一致して嬉しくなったものが少なからずありました。
そこで以下、『知の巨人が選んだ世界の名著200』に登場したなかで、わたし自身おなじく名著と考えている10冊を、ランキングをおこなって表示いたします。
ひとつひとつの末尾に付けた「佐藤書 pp. △△」は『知の巨人が選んだ~』で記載されていたページです。
第1位 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー 著『カラマーゾフの兄弟』、光文社古典新訳文庫(2006年)、佐藤書 pp.358
第2位 マルコ・ポーロ 著『東方見聞録』、平凡社ライブラリー(2000年)、佐藤書 pp.138
第3位 会田雄次 著『アーロン収容所:西欧ヒューマニズムの限界 改版』、中公新書(2018年)、佐藤書 pp.212
第4位 アレクサンドル・ソルジェニーツィン 著『イワン・デニーソヴィチの一日』、新潮文庫(1963年)、佐藤書 pp.252
第5位 遠藤周作 著『沈黙』、新潮文庫(1981年)、佐藤書 pp.66
第6位 デズモンド・モリス 著『裸のサル:動物学的人間像』、角川文庫(1999年)、佐藤書 pp.76
第7位 子母澤寛 著『新選組始末記:新選組三部作』、中公文庫(1996年)、佐藤書 pp.280
第8位 クロード・レヴィ=ストロース 著『悲しき熱帯』、中公クラシックス(2001年)、佐藤書 pp.162
第9位 吉野源三郎 著『君たちはどう生きるか』、岩波文庫(1982年)、佐藤書 pp.18
第10位 イザヤ・ベンダサン(山本七平)著『日本人とユダヤ人』、山本書店(1970年)、佐藤書 pp.350
第1位に置いた小説とは20歳前後だったころ出会い、あまりの素晴らしさに嘆息が止まらなかったことをおぼえています。
第8位の専門書は、わたしの大学生時代、学生たちのあいだで必読の読物でした。
小学校低学年だったとき、第9位の単行本が自宅の小さな本棚に入れられており、中身をめくってみると読みやすそうだったため読みだし、そして読みふけった記憶があります。
わが両親の蔵書とは考えられず、それではあれは誰の所持品だったのだろうと、いまだに謎です。
金原俊輔