最近読んだ本580:『2016年の週刊文春』、柳澤健 著、光文社未来ライブラリー、2023年

著者の柳澤氏(1960年生まれ)は、元『週刊文春』編集部員で、2023年現在、フリーのノンフィクションライターをなさっているかたです。

『2016年の週刊文春』。

ご自分の古巣を描いた社史みたいな展開の読物であり、1959年4月『週刊文春』創刊号発刊の逸話から2020年の本書執筆時の様相まで、長い時間幅で記述が進行しました。

わたしが前の行で「社史」と喩(たと)えたため、退屈そうな内容に聞こえたかもしれません。

正反対です。

野性味あふれる編集者・文学者らが続々現われ、痛快な実説も満ち、おもしろくてたまりませんでした。

重大事のすっぱ抜きを意味する「文春砲(pp.612)」に論がおよぶや、著者の文章に力が入りだし、読む側は「巻を措く能(あた)わず」状態を体験させられます。

文春砲なる表現が人口に膾炙(かいしゃ)しだしたのは2016年ごろらしく、その関係で「2016年」がタイトルに含まれました。

もともとはAKB48のファンの間で使われていた言葉で、秋元才加、指原莉乃、峯岸みなみらのスキャンダルを『週刊文春』が報じたことから命名されたものだ。(pp.612)

以降、『週刊文春』は日本社会に大きな影響をおよぼすようになります。

では、これより、文春砲2例を紹介しましょう。

まず、ジャニーズ事務所の醜聞。

ジャニー喜多川のセクシャルハラスメントや児童虐待を告発した『週刊文春』の一連の記事を事実無根として、ジャニーズ事務所およびジャニー喜多川が名誉棄損で文藝春秋を告訴した裁判に決着がついたのは、告訴から4年以上が経過した2004年2月のことだ。(中略)
ジャニー喜多川およびジャニーズ事務所が新聞やテレビから批判されることは一切なく、芸能界における絶大なる権力を長く保ち続けた。2019年7月9日にジャニー喜多川が亡くなった時、少年たちへのホモセクハラに触れた主要メディアは『週刊文春』だけだった。(pp.498)

つづいて、政治家・小沢一郎氏(1942年生まれ)が東日本大震災のときに放射能被曝を恐れ、選挙区の岩手県から逃げだしたスキャンダル。

上記は2012年6月に『週刊文春』がスクープしたものの、その後、他のメディアがどう追随したかといえば、

報じたニュース番組は皆無だった。
理由をテレビ局に逆取材すると、じつは小沢一郎サイドから圧力がかかったという。
「もし文春の記事を番組で紹介すれば、今後のインタビュー取材は受けない。ほかの局はみな取り上げないと言っている。おたくの局だけが紹介して大丈夫なのか?」と脅しをかけられたというのだ。(pp.549)

『週刊文春』は孤高の存在、と感じられました。

同誌の編集長だった新谷学氏(1964年生まれ)が孤高をめざす意気込みを披歴しておられるので、引用します。

この不正は許せない、どこかに告発したいと誰かが考えた時に、真っ先に思い浮かぶメディアが『週刊文春』にならないといけない。(中略)『週刊文春』なら腕は確かだし、リスクを取ってでも、どんな強い相手であっても戦ってくれると告発者に思ってもらえれば、情報提供の量は間違いなく増える。(pp.629)

『週刊文春』はまさにそんな週刊誌として認知され、情報提供が増え、文春砲も炸裂しつづける、こうした好循環に至りました。

最後です。

個人的に『2016年の週刊文春』書中、傑出しているエピソードと思ったのは、森友学園事件のせいで「鬱病(pp.681)」を患われ自殺に追い込まれてしまった赤木俊夫氏(1963~2018)の未亡人が、『週刊文春』関係者へ信頼をお寄せになられた件。

当該箇所を読みつつ、わたしは目頭が熱くなりました。

これほど頼もしいメディアが国内で気を吐いていることを礼賛いたします。

金原俊輔