最近読んだ本594:『教育は遺伝に勝てるか?』、安藤寿康 著、朝日新書、2023年

行動遺伝学者の安藤氏(1958年生まれ)。

かつて、氏の、

安藤寿康 著『心はどのように遺伝するか:双生児が語る新しい遺伝観』、講談社ブルーバックス(2000年)

を読み、研究に地道に取り組まれているお姿に接し、頭が下がりました。

『教育は遺伝に勝てるか?』は、あたかも『心はどのように遺伝するか』の続編みたいな啓蒙書であり、著者がこつこつご自分の専門領域を深められているご様子に、再度頭が下がります。

「はじめに」で、

この本では、子どもの成長に大きな影響を与えるもう一つの要因、「遺伝」に着目し、行動遺伝学の第一原則である「いかなる能力もパーソナリティも行動も遺伝の影響を受けている」という科学的事実に従って、子育てについて考えます。(pp.7)

安藤氏はこうお書きになり、実際、そのとおりの内容でした。

本書の特長は、どのページ、どの話題においても、読者が即断しないよう、勘違いしないよう、丁寧かつ注意深く、議論を展開なさっていること。

たとえば、

遺伝の影響を強調すると、パーソナリティや精神疾患や発達障害は遺伝によって決まっていて、環境ではどうしようもないと思われがちですので、そういう意味ではないことも同じように強調しておかねばなりません。(中略)同じ環境で育った一卵性双生児ですら、完全な一致を示す相関係数1からはほど遠い0.5ぐらいで(自閉症とADHDはそれより大きいですが)、非共有環境が大きいということです。非共有環境とは、同じ家庭で育っても一人ひとりが家の内外で行う異なる経験、それによって遺伝子を共有する家族でも互いに似させないような環境の影響の総体をさします。(pp.81)

これほどくわしい説明をいただいたら、読む側において誤解は生じにくいでしょう。

本書の結論は、

教育は遺伝に勝つことができないんじゃないかという印象をもたれた方もいるでしょう。そうだとすれば成功です。(中略)
「遺伝をこの世界で形にしてくれるのが教育だ」「教育なしに遺伝は姿をあらわさない」というメッセージが伝わったとすれば大成功です。(pp.241)

以上、『教育は遺伝に~』が、専門家が執筆した精密な一冊であると心から認め評価したうえで、わたしが抱いた疑問を2点述べさせていただきます。

1点目。

著者が携わっておられる「双生児の研究(pp.4)」ですが、これは米国の心理学者アーノルド・ゲゼル(1880~1961)のむかしから、国際的にそちらへ目が向けられている事実を承知しております。

ただ、著者や著者が率いる研究グループの場合、ご研究の対象者が「東京大学教育学部附属中等教育学校(pp.159)」卒業生たちにやや偏っているという印象をもちました。

上記は優秀な中学・高校で、「国際基督教大学(pp.160)」「早稲田大学(pp.167)」へ進学した登場人物すらいらっしゃいます。

そのせいでしょう、とある一卵性双生児の男性おふたりは「私はへその緒を切るところから覚えてます(pp.152)」「生まれて3カ月の間で、キッチン、台所のシンクで(中略)沐浴をしたときの様子を覚えていますね(pp.153)」……由でした。

脳の発達は、3歳ごろから、それより前の活動で培った神経細胞の取捨選択がおこなわれて再出発しますので、われわれは3歳以前の記憶をもっていないことが普通です。

極端な頭の良さのおかげでおぼえている例はあり、三島由紀夫(1925~1970)が典型でしょう。

つまり、著者らのご研究は、人間一般の行動パターンを調べようとするとき、三島由紀夫を対象者のひとりにしたため結果全体に影響がおよんでしまうというような、軽いリスクを帯びているのです。

2点目です。

本書では触れられていないものの、

ジュディス・リッチ・ハリス 著『子育ての大誤解:子どもの性格を決定するものは何か』、早川書房(2000年)

は、名著で、わたしは臨床心理学者として、スクールカウンセラーとしても、たびたびハリス書を参考にさせていただきました。

『子育ての大誤解』出版の約25年後に『教育は遺伝に~』が上梓されたわけですが、『教育は遺伝に~』のなかで出てくる研究結果や研究結果に基づいた種々の指摘は、『子育ての大誤解』のそれと大きな違いがありませんでした。

けっこう大同小異な感じ……。

まさかとは思いますが、ほぼ4分の1世紀が過ぎても、あまり行動遺伝学が進展していないということなのでしょうか?

金原俊輔