最近読んだ本614:『これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話:イノベーションとジェンダー』、カトリーン・キラス=マルサル 著、河出書房新社、2023年

勉強になりました。

勉強になったというよりも、自分の周囲をこれまでとは違った視点で眺めることに役立った……こちらの表現のほうが適切かもしれません。

世界のいろいろな事物は主に白人男性の需要に合わせられている、女性や非白人の需要は無視もしくは軽視されている、との主張が込められた一冊。

書中、まず著者キラス=マルサル氏が例示なさったのは、1970年代における「キャスター付きスーツケース(pp.12)」の登場です。

著者によれば「車輪は人類最大の発明の1つ(pp.10)」なのですが、「スーツケースに車輪が付くまでに結局5000年も(pp.15)」かかりました。

なぜなのか?

「男なら妻のスーツケースを持ってやるという。それが当然だったんです」
言い換えれば、キャスター付きスーツケースが市場から受けた反感は、ジェンダーと強く結びついていた。(中略)
人間がキャスター付きスーツケースの真価を見抜けなかったのは、それが男らしさに関する俗説と嚙み合わなかったから。(pp.26)

なるほど。

マッチョさを重んじる社会のありかたが新製品の着想や売れ行きを食い止めていたわけです。

たしかに、わたしたちはカウボーイだのサムライだの騎士だのバイキングだのオールブラックスだのを尊び誇る文化のなかに生きていて……。

こうした傾向が高じるや、

スウェーデンでは、乳業関連の資格が2種類つくられた。男性用と女性用だ。男性は技術について学び、女性はチーズの作り方について学ぶ。(中略)
男性が油絵の具をキャンバスに乗せて抽象的な絵を描いたら、それは芸術作品。でも女性がまったく同じデザインで編み物をしたら、それは手芸と呼ばれる。(pp.76)

と、なってしまいます。

本書では他の具体例も紹介されており、とりわけ、テクノロジー革命にともない、これまで「男性向き(pp.96)」と見なされていた仕事が先端機器の影響を受け減少し、「女性向け(pp.99)」だった仕事のほうはあまり影響を受けずに存続する、とのご指摘は印象的でした。

ユニークな議論を展開したのち読者が納得できる結論を示す啓蒙ビジネス書。

それが『これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話』です。

なお、われわれ心理学者には、本書で述べられた主張が別段耳新しくなかった事実を申し添えさせてください。

というのは、むかしの心理学で重視されていた理論は白人男性のみを被験者(実験の対象となる人たちのこと)にした研究で導きだされたものばかりで、それがどれくらい女性・非白人に当てはまるのか、との批判があちこちでなされていたからです。

いまもさして実験手続きが改善してはいないように思えますが。

金原俊輔