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『ゲッベルスと私:ナチ宣伝相秘書の独白』、ブルンヒルデ・ポムゼル、トーレ・D・ハンゼン共著、紀伊國屋書店、2018年。
ナチス時代のドイツにおいて「宣伝大臣」を務めたヨーゼフ・ゲッベルス(1897~1945)。
第二次世界大戦の敗北が確定した際に、アドルフ・ヒトラー(1889~1945)のあとを追って自殺しました。
上掲書は、そのゲッベルスの秘書だった女性による回顧談です。
女性はブルンヒルデ・ポムゼル(1911~2017)。
彼女は、1942年から約4年間、宣伝省に所属し、ゲッベルスのもとで勤務しました。
103歳だったとき、映画収録のための(本書の下地となった)回顧をおこないました。
もしも、読者が「ゲッベルスについてくわしく知りたい」という期待で『ゲッベルスと私』を読みだした場合は、期待を裏切られるでしょう。
彼のことはたいして語られていません。
なぜかといえば、ポムゼルは複数名いた「ゲッベルス秘書団」のひとりに過ぎず、日々、上司と打ち合わせなどをしていたわけではなかったからです。
いっぽう、当時のドイツの状況や一般のドイツ人たちが状況のなかでどう生きていたかについては、じゅうぶんな情報が提供されました。
有名な作家が書いた手紙の中に、ヒトラーやゲッベルスをけなすような記述があったという話を私たちはどこかで聞き知った。その作家は逮捕され、射殺された。処刑まではあっというまだった。そういう話は、人々の耳に入っていた。(pp.118)
そのころ映画は、大衆の最大の娯楽だった。演劇はチケットが高いし、オペラなんて論外だったから。
でも戦争が続くとともに、みんな、食べ物のことが第一になって、文化は徐々に先細りになっていった。(pp.122)
以上のように。
さて、ポムゼルは、往年を顧(かえり)みながら、たびたび、ナチスのユダヤ人虐殺を「知らなかった」「自分に罪はない」との発言を繰り返しました。
私は収容所の中で行われていたことを -あれらの写真や集団墓地などを- 知ったとき、愕然(がくぜん)とした。でも、何も知らなかったのなら、やっぱりそれは私たちの罪ではない。そして私個人の罪でも断じてないはず。ぜったいに。(pp.149)
読みつつ苦しくなってきます。
ポムゼルの責任感の欠如や反省する力の弱さに遣(や)りきれなくなり、とはいえ、わたしが同じ政情下に置かれたら、彼女が選んだ生きかた以外を選択する勇気などもっていないことを認めざるを得なかったためです。
ゲッベルスより、ポムゼルより、自分自身について深く考える読書となりました。
ところで、心理学を学んだ者が本書に目を通せば、みな、
スタンレー・ミルグラム著『服従の心理:アイヒマン実験』、河出書房新社(1975年)
を想起するはず。
「おしなべて人間は服従能力を有し、環境が要因として働いた結果、人は他者に服従する」旨を、実験で証明した学者が世に問うた一冊です。
ミルグラム「アイヒマン実験」の結果を受け入れるわたしは、ポムゼル個人のありかたを責めたりはできません。
彼女にかぎらず、だれだって、似たように振る舞うはずです。
ただ、戦後70年が過ぎた時点で、依然としてポムゼルにおいて後悔・反省というものがうっすらとしか生じていなかった事実には、とまどいをおぼえました。
きっとこれも人間全般に潜む傾向なのでしょう……。
金原俊輔