最近読んだ本303

『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、北康利著、講談社、2019年。

福沢諭吉(1835~1901)がこれほどまでに大きな存在だったとは知りませんでした。

知らなかった理由として、わたしがたまたま彼の政敵・勝海舟(1823~1899)に関する本ばかりを読んできたため、つい、福沢を重視する気もちが生じなかった点があげられます。

今回、北氏(1960年生まれ)の作品に接したおかげで、自分の無知や偏りを修正することができました。

『福沢諭吉~』は、主人公の生誕から病没までを丁寧に記した内容です。

印象的な史実満載だったのですが、わたしがとくに興味をもってページを繰ったのは第1章後半の「人生の師・緒方洪庵」項でした。

個人的に、緒方洪庵(1810~1863)を日本史のなかで傑出した聖賢のひとりと敬っています。

上記の項をとおし、20歳だったときに緒方の「適塾」へ入門して彼の謦咳(けいがい)に触れた福沢が当然ながら師の好影響を受け、影響がのちのちまで福沢という人物を支えた経緯が、判然となりました。

まさに「良師は3年かけても探せ」です。

つづいて、福沢といえば、どうしても気になるのが、いわゆる「脱亜論」。

わたしは「脱亜論」を読んだことがなく、そのため、アジア人である福沢が同論を唱えたのは自らや日本人を否定したのではないか、アジア諸国を蔑視したのではないか、という疑念を抱いていました。

本書によれば、

短文であるだけに趣旨は明快。もうわが国は中国や朝鮮が西洋化していくのを待つ余裕はない。一緒にいると欧米諸国から同類と思われるから、彼らと絶交してでも欧米諸国の仲間入りをするよう努力すべきだという内容である。(中略)
「さじを投げた」と宣言することによって、「このままではアジアはだめになる!」という強烈なメッセージを伝えたかったのである。(pp.311)

由です。

アジア全域ではなく「清や朝鮮(pp.312)」のみを念頭に置いた発言であったわけで、当時の日本人が所持していた「欧米の侵略を断固阻止せん」との危機意識から鑑みると、近隣国の変化も必須要件であり、それほど責められるべき発言ではなかったかもしれません。

最後に、慶應義塾大学の創始者である福沢と早稲田大学を作った大隈重信(1838~1922)は「盟友だった(pp.346)」そうです。

昭和時代に入って、福沢は1万円札の肖像となりましたが、

肖像の人選が完了した昭和55年(1980年)6月初め、大蔵省の担当官は当時の竹下登大蔵大臣へ報告に行った。竹下といえば、早稲田大学に対する愛校心の深さで知られ、後に首相の座に上った実力政治家である。
(1万円札が福沢諭吉なのを見て、大臣はきっと「どうして大隈先生ではダメなのかね?」とおっしゃるに違いない)
そう覚悟していたが、竹下はこの時まったく私見を挟(はさ)まず、「いいでしょう」と言ってうなずいたという。(pp.348)

小ネタに過ぎないものの、悪くはない話だと思いました。

金原俊輔

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